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延命十句観音経霊験記5

13,
 それ以来、ぼくは鬱状態になることはなかった。おそらくこれからも、そういう状態にはなることはないだろう。それは、延命十句観音経のおかげで、深く悩みに囚われたり、縛られたりすることがなくなったからだ。

 以来ぼくは、悩みを持った時にこの経を唱えることにした。すると、同じように霊験は現れる。例のヘソの下が、何かすっきりした気分になるのだ。そうなるとしめたもので、すでにその悩みは消えているのである。

14,
 ある時には知恵をも与えてくれる。

 困った問題が起きた時、自分の頭であれこれと考えて解決しようとすると、失敗することが多いものだ。しかし、いったんこの経にすべてを預けてしまうと、意外なところから解決法が見えてくる。それがまた絶妙な解決法で、問題のほとんどはそれで解決してしまう。まさに仏の知恵というものだろう。

15,
 よくよく考えてみると、ぼくはこの経と縁があったのだと思う。
 きっと鬱状態というのは、その経に入る方便として、仏が与え賜うたものなのだろう。だからぼくは崩れなかったのだ。そして、その後も霊験を見続けることが出来たのだ。

 今はそれが長いお経でなくてよかった、と感謝するばかりである。面倒くさがりのぼくのことだから、仮に長いお経だったら、きっとすぐに飽きていたことだろう。
 鬱状態から解放されたあとに、一度だけ、観音経(妙法華経観世音菩薩普門品)に挑戦したことがある。が、「念彼観音力」とか「福寿海無量」といった有名な言葉は覚えたものの、お経自体は覚えられず挫折してしまった。

16,
 ところで、冒頭でぼくが唱えることが出来るお経は二つあって、その一つは般若心経だと書いたが、その般若心経は、十句経を覚え鬱状態から脱出した後、そう観音経に挑戦していた頃に、勢いで覚えたものである。この経も霊験あらたかで、霊障に遭った時にこの経を唱え、何度も救われたことがある。

 だがこの経は、それほどぼくとは縁がないように思えるのだ。なぜなら、このお経を唱えると、いまだにとちってしまうからだ。やはり、ぼくには延命十句観音経しかないのである。

17,
 さて、タイトルにわざわざ『霊験記』などと謳っているので、何らかの奇跡を期待した人もいるかもしれない。そういう人は、これまでの話を読んで、拍子抜けしたにちがいない。
中には「ただ単に、精神状態が元に戻っただけの話じゃないか」と思っている人もいるだろう。

 しかし、はたからどう思われようとも、あの日のぼくにとって、あれは確かに奇跡だったのだ。今もその思いは強く持っている。だからこそ信じられるのだ。

 - 延命十句観音経霊験記 完 -

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