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昼休みの遊び(小学校高学年編)
小学校高学年の頃(1968年〜70年)、昼休みにやっていたのは、陣地取りやSケンといった定番の遊びが多かった。また、クラスマッチ前には、練習も兼ねてソフトボールや野球やサッカーもやった。
そういえば、もう一つやっていたものがある。それはプロレスだ。講堂に行って体育のマットを敷き、そこでやったのだ。
プロレスと言えば、ぼくが小学6年になるまで、福岡には日テレ系のテレビ局がなかった。そのため見ることの出来たプロレスは、TBS系でやっていた国際プロレスだけだった。
ということで、ぼくたちの当時のヒーローは、豊登であり、サンダー杉山であり、グレート草津だった。その影響から、みんながやっていた技は、さば折りや雷電ドロップや四の字固めだった。
技の種類が豊富になったのは、夏休み以降だった。福岡放送の開局で、夏から日本プロレスが見られるようになったのだ。その時からみんなのヒーローは、ジャイアント馬場やアントニオ猪木に変わり、『脳天唐竹割り』や『ココナッツ・クラッシュ』や『コブラツイスト』や『卍固め』を使うようになった。
しかし、日本プロレスが見られるようになってからまもなく、ぼくたちのプロレス熱は冷めていった。その理由は新しい格闘技がブームになったからだ。新しい格闘技、それはキックボクシングだ。ヒーローは『キックの鬼』と呼ばれた沢村忠だった。
ただ、キックボクシングは危険だった。蹴られた所に青アザが出来たり、ひじ打ちで泣く者も現れたり。当然、沢村の必殺技『真空跳び膝蹴り』など出来るはずもなく、遊びとして向いてなかった。