見出し画像

「シビル・ウォー アメリカ最後の日」について好き勝手語ってみる

最近では、近未来のアメリカを舞台にした戦争映画「シビル・ウォー アメリカ最後の日」を見ました。 ストーリーのあらすじは、内戦状態に陥ったアメリカで、ベテランジャーナリストと若手カメラマンが危険な取材の旅に出ます。彼らは荒廃した国土を進みながら、様々な立場の人々と出会い、複雑な内戦の背景を目の当たりにします。首都ワシントンD.C.に近づくにつれて緊張が高まり、ジャーナリストたちの信念と職業倫理が試されることになります。

考えさせられる映画だと思いますがまだ一回しか観てないので、忘れる前にこの映画から感じ取った感触を言語化するつもりです。内容が断片的で飛び飛びになる可能性があります。ご了承ください。

ミーム化したあのシーン

「やめてください、俺たちは同じアメリカ人じゃないか」 「なるほど、どんなアメリカ人だ?」

赤いサングラスで登場したシーンは想像より面白かった。キャラクターの頭からつま先まで説得不可能な狂気がにじみ出ています。

良い宣伝詐欺(?)

戦争フィクションではなく、反戦ロードムービーだった。
トレーラーといろんな宣伝から観察すると、普通の戦争映画と捉える可能性が高いと思いますが、実際反戦精神が強め、戦争映画にありがちな英雄主義を称えるような表現が一切ありません。本作品ではキャラクターの死亡に過剰な描写がなく、ディレクターであるアレックス・ガーランド氏から言うと:死はただの死で、美しい言葉を残せず肉塊になるだけ。
A24スタジオが得意な美と醜の対照的な手法で、人々に生理的な不快感を喚起しながら、あのディストピアに引っ張られるような感じになりました。街は戦場になり、過激主義に支配された日常はどのくらい怖いかを物凄く説得力がある方法で描写されました。

戦場カメラマンの仕事(アイデンティティ)

具体的な内容と話の着地が既に忘れましたが、筆者の高校時代、ジャーナリストのモラル問題についてクラス中ディベートを開催したことがあります。

「路上での処刑」 1968年 エディー・アダムス(1933-2004)

戦場ジャーナリストのアイデンティティもこの映画において重要なテーマの一つとして取り上げられています。戦場ジャーナリストの仕事は観察+記録、どんな地獄が目の前に存在していても、それを記録して世に知らせる義務があります。一方で、あるイデオロギーか組織に所属する兵士ではないため、戦場でなにが起きても干渉は一切認められない。
体が燃えて悲鳴を上げている人がいようと、飢饉で目の前で息絶えそうな子供がいようと、戦場ジャーナリストのマインドセットは、その瞬間を記録することを何より優先しなければなりません。
人間性より写真を大事にすべきか、自分が撮った写真が本当に平和に繋がるか、という葛藤は本作で面白く描かれていますが、言ってしまえばネタバレになるので割愛します。
ぜひ興味があれば見てください。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?