【エッセイ・転職活動記】泥を食べてみてください
転職活動において面接になかなか通らない。
その悩みを解決しようと、最近はとりあえず数をこなしている。
何のための転職活動だ、と思われるかもしれない。
私の場合ははっきりしている、健康に生きるためだ。
職場にはセクハラ、パワハラ、前時代的な価値観もすべてが揃っている。
昭和の時代から醸成された地層からとんでもないハラスメントが出土する。
さながら不快のバイキングと言っても過言ではない。
どの食事をとっても中に入ってるのは泥や虫の死骸ばかりだ。
ある人は言った、貴重な経験が得られるのだから3年は我慢しなさいと。
またある人は言った、3年働けばきっと花開くものもあると。
しかし、職場に行くたびに下痢をし嘔吐もし、謎の熱も出た。
メンタル面では不眠と自殺企図も経験した。
そして、ついにその言葉に殴りかかる決意をした。
最初は書類が通らなかった、現職の実態は不快のバイキングであるが、その職種も属性も通り名は良い。
内部を知らない第三者から見ると素敵なホテルバイキングに見えるらしい。
書類を魅力的なものに仕上げ、やっと面接になったと思ったら、「この素敵なホテルバイキングをなぜ短期離職するのだろう?」という疑問がまず面接官に浮かぶようで、そこでマイナスポイントが生まれる。
転職エージェントの面接対策も受けたが、彼らの指導するような真面目な回答をすればするほど「ではなぜこの職場を辞めるんだろう……?」という疑問が強くなるようだった。
そして「貴殿のさらなる躍進をお祈りします」というメールが届く。
そうして時は流れ転職活動は4か月目、雑談の盛り上がった面接は通過率が高いことに気がついた。
雑談が成功すればするほど面接官の笑顔は増える。
それに気づいてからは雑談を広げる話力を強化した。
それまでたくさんの理由で落とされた。
真面目すぎてストレスとうまく向き合えなさそう、押しに弱く業務に不向き、現職を辞める理由が弱く感じる……。
これらの懸念点を雑談が隠ぺいする。
それに気が付くのが遅すぎた。
職場で雑談の回し方が上手い先輩がいた。
この先輩は人に厳しい割には業務中にスマートフォンを見る時間が長い。
私は雑談もこの先輩も非常に苦手だった。
ただし、人からの信頼は厚かった。
雑談を回す能力が高い、というそれのみで彼は職場のほとんどの同僚と円滑なコミュニケーションを築いている。
不快のバイキングであるこの職場で、まだ食べられる食事を彼は手際よく選んでいた。
私が泥水をすすっている横で、彼は食べられる野草をうまく調理して食べている。
その先輩にある日裏で呼び出された。
「お前はもっとコミュニケーションを上手くこなすべきだ」と。
できないと思った。
もうこれ以上の泥は食べたくなかったのだ。
私は素直に「自分がそれをできるとは思いません」と言った。
それからは彼にほとんど見捨てられ、彼の雑談のネタにされることが多くなった。
それは悪い意味でである。
仕事もコミュニケーションもできない新人の愚痴──という新しいネタを手に入れた彼は、それを周りに共有し、私は泥を食べる機会がまたさらに増えてしまった。
泥を食べすぎて、しまいには動けなくなってしまった。
動けなくなってしばらく、昼過ぎまで寝て過ごした。
病名は適応障害とついた。
職場を恨む毎日だった。
あの時あの先輩が私の愚痴を言わなければ、あの時また別の同僚からミスを押し付けられなければ、あの時ボイスレコーダーを準備していれば……後悔のみが頭の中に湧き上がった。
何もしないことにも気を病み、すぐに転職活動を始めた。
しかし帰ってくるのはお祈りメールばかりであった。
こうした日々を過ごす中で3か月目、普段ひきこもっている分、面接で全く知らない他者と話すことは楽しいことであると突然気が付いた。
受かることより、他者と話す機会を設けるということを優先し、様々な企業に書類を送るようになった。
その中で面接官と雑談を行う機会も多くなった。
そして好かれる雑談(職務内容を深堀りした内容、現職の業界の裏話、転職理由のエピソード、学生時代のエピソード、面接官の自己紹介の深堀り)と嫌われる雑談(現職の愚痴、自分のことばかりな雑談、内容のない話)がはっきりと分かれていることに気が付いた。
それに気が付いてから、だんだんと二次面接に進む機会も多くなった。
停滞しているような日々の中で少しの進歩があったのだと嬉しい気分だった。
また自身の身振りの特徴もつかめるようになってきた。
早口すぎる、結論から話していない、話に具体性がない時が多い……これらの特徴に気が付き少しでも修正できたのは大きな進歩だった。
これら雑談の有用性と自身がコミュニケーション面で経験が足りていなかったことに気が付くと同時に、あの先輩のことが自然と頭に思い浮かんだ。
私はあの時、塩を送ってくれた先輩に無意識に泥を投げつけてしまったのだとやっと理解した。
彼には陰湿な嫌がらせも受けたが、それが自身が無意識に彼に無礼を働いたためだとやっと気がついた。
面接という機会を使って、他者と何度も話をしてきた経験がその答えを導いたのだ。
休職期間の初期は後悔ばかりだった。
でも今は反省ばかりだ。
反省となれば次は活かせる。
それらに気が付くのが遅すぎたと思う。
しかし、休職を行いかつ転職活動に本腰を入れなければ気がつけなかったとも思う。
あのまま職場にいたらただ恨みとストレスが増すばかりの日々が続いていただろう。
職場で泥ばかり食らってきたメリットも多少はある。
少しばかりのの圧迫面接ならば、まずい料理として食える。
そういうわけで面接自体はあまりメンタルに響かない。
みんな私のように泥を食べていないから私に厳しく当たるんだと考えていた。
私が泥を食べていないように見えるから私に厳しく当たるんだとも。
泥をたべてみてください。
そう空想の中で嫌いな同僚に泥を投げつける日々だった。
でも違った。
泥を食べるばかりで、その中でマシな泥を選ぶ努力をしなかったのは私の落ち度だった。
そして転職活動を通して気が付いたことがある。
そもそも泥を食べることを強要する職場はおかしいということ。
退職させてください、と恐ろしい上司に申し出る場面でも雑談の力は果たして活きるのか……それは疑問である。
でも、いつかは食らわなければいけない最低の泥のかたまりに身震いしつつ、少しの勇気はついたつもりだ。
円満に辞められるとは思わない。
それでも、もう泥は食べたくない。
次はまずくても食べられるものを出す職場に行くと決めた。
その思いを胸に、今日も面接を受けに行く。
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