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”沖縄のことば”について、よくある質問(2)

”沖縄のことば”について、よくある質問(1)の続きです。

3.「文字ってあるんですか?」

最後のこの問いは、真面目に”正書法があるのか”と聞いている場合と、聞いている側が、アルファベットでもカナ文字でもない、”なんか、おどろおどろしい見た目の、意味のわかんない文字”をうすうす期待しているように思えることもあります。後者については、ありません。

そもそも琉球諸語は、いつから文字に書かれてきたのでしょうか。
琉球諸語の最も古い記録は、1494年に刻まれた「おろく大やくもい」の石棺に刻まれた碑文です。この後、1501年「たまおとんの碑文」、1522年「真珠奏の碑文」、1527年「崇元寺下馬碑」などの資料があり、1532年には「おもろさうし」の編纂が始まりました。「おもろさうし」に見られる仮名遣いが、琉球王国の”歴史的仮名遣い”として定着します。

ちなみに外国人の手によって書かれた記録には、
1, ハングルによるもの :申叔舟「語音翻訳」(1501)
2, 漢字によるもの   :呉之任「琉球館訳語」(15世紀~16世紀?)
3, ラテン文字によるもの:"Vocabulary of the language spoken at the Japan
                                           sea.Compiled by John Herbert Cliford, ESQ. 
                                           Lieutenant, Royal Navy"
1は、1471年の申叔舟『海東諸国記』に30年後になってから付け加えられた資料です。ハングルで書かれているために、当時の琉球語の発音を知る手がかりになります。
2。明は、外交関係を有していた国の言葉と中国の対訳辞書を編纂していました。「華夷訳語」と総称されるそれらのうちの、琉球編ということになります。
3は「クリフォード語彙」としても知られる資料で、バジル・ホールの航海誌"Accounts of a Voyage of Discovery to the West Coast of Corea, and the Great Loo-Choo Island"(1818)に含まれています。Coreaはママです。

では現代のネイティヴスピーカーはどう書き表しているか。

奄美語の場合

奄美語は、先に触れた通り、母音が多い。共通語の5母音に加え2種類の中舌母音があり、7つの短母音を持つ体系が一般的です。
そして子音には、話者が「硬い」「柔らかい」と表現する対立があります(喉頭音化の有無)。
ということは、中舌母音と、子音の硬軟の書き分けをどうするかが大きな課題となります。

岡村隆博『奄美方言 カナ文字での書き方』

この本では、2種類の中舌母音を「ヰ」と「ヱ」を使って書き、子音の硬軟の区別は、硬い方に「’」アポストロフィ記号を使う方法が提案されています。
次の引用は97ページに載っている例文です。
(「ヰ」は拗音で表記されますが、小書きのヰが出せないためこの点のみ再現できていません)

②私は、今年の四月、父が転勤したので島へ戻ってきました。
ワンや、クトゥースヰぬ スヰグヮーツヰ、アージャがテンキンシャットゥ、スヰマカーツヰ ムドゥーテヰ ケーテヰ。

第4節 自己紹介文の書き方

岡村氏自身も、後に「書いて残そう島々のことば」エッセイコンテストで、この正書法を用いたエッセイを投稿しています。
この方法は、手書きでもパソコンでも(スマートフォンでも)簡単に使える方法です。すばらしい。

ですが、弱点もある。中舌母音が単独で現れるような場合には、問題がないのですが、中舌母音が子音と結びつく場合はどのように表記するのでしょうか。次に引用したのは、同書43ページ。中舌母音 ї は共通語の「え」に対応する音だと説明している箇所です。左から順に、共通語の拍、語の例、共通語のローマ字表記、奄美語のカナ文字での表記、です。

ケ 毛 ke  ケヰー
セ 瀬 se  シヰー
テ 手 te  テヰー
ネ 子 ne  ネヰー
ヘ 屁 he  フヰー
メ 目 me  ムヰー
レ これ re  クルヰー

注・「ヰ」の文字は拗音表記なのですが正しく表示できません。

見てみると、中舌母音と結びついた子音側の表記が、イ段、ウ段、エ段に割れています。「目」は他のページでも一貫して「ムヰー」となっていますが、これに対する説明がない。奄美語を母語としている人が書くときにも、ここらへんの方針が不明確に感じられるのではないかな。勉強してみるつもりで本書を開いた余所者(つまり私)には、共通語との母音の対応関係と表記のルールが示されていたら嬉しいのですが……

(この本、全体的に説明がわかりづらいです。著者が別々に発表した原稿を手入れしてまとめなおしたもの、という印象を受けます。そもそも、奄美語を話す同胞に向けて、カナ文字で書けるよ、という体裁なので私らは読者の想定に入っていないのかもしれません)

奄美語は、母音が多彩故の難しさでした。一方、母音が少ない、与那国語はどうか。

与那国語の場合

与那国語は、母音がa, i, uの3つです。
そして与那国語の子音にも硬い音と柔らかい音があるのですが、その区別があるのは語頭のk,tとk', t'だけです。したがって、語頭でのみ、何らかの区別を行えばよいことになります。つまり、カナ文字で書くのが比較的楽なのです。   

池間苗『与那国語辞典』

著者(編者)の池間苗氏は1919年のお生まれです。最初は私家版として出版された本(『与那国ことば辞典』1998)に手を加え、刊行されました。
池間さんご本人が、自身の母語をどう捉えていたかが分かるため、一次資料として貴重です。
与那国語ー日本語辞典ではなく、日本語ー与那国語辞典です。かな表記の見出し語(キーワード)に対して、時には複数の表現が関連して紹介され、与那国語とその発音記号が与えられます。

見出し語 単語       与那国語   発音
おいしい 味付けが美味しい ティーマン  [ti:man]
     とても美味しい  マーてぃマン [ma:t'iman]
     とても美味しいよ マンスユー  [mansuju:]
     美味しい物    スームヌ   [su:munu]

p55・発音記号にはアクセントが振られているのですが正しく表示できないので省きました。

「味付けが美味しい」と「とても美味しい」を比べてみてください。
ティーマン、では語頭の音がt(非喉頭化音)、カナ表記ですが、マーを前に冠した「マーてぃマン」ではこの部分がひらがな表記になっています。これは、語中ではtが現れず、原則全て喉頭化したt'(喉頭化音)が現れるためです。書き分けが行われているため、後学の部外者にとっても易しい。

現在では入手が難しくなってしまいましたが、その代わり、与那国町教育委員会編『どぅなんむぬい辞典』が2021年に刊行されました。この辞典、すごいですよ。

与那国町教育委員会編『どぅなんむぬい辞典』

巻頭にはカラー写真で動植物や民具、祭事の紹介があって、「来る」「見る」のような多くの言語で不規則変化をする動詞には活用も示してあります。巻末には日与索引、分類語彙集、そして会話文の見本もあります。

Amazonにはないので、引っかかったものを貼っておきますね。
https://onemahina.stores.jp/items/608a534fdf62a906cc065b74

宮古語の場合

宮古語の場合はどうかと言いますと。
英語でお馴染みのf, vの子音があります。日本列島でこの音を持つのは、宮古語と一部の八重山語のみです。また共通語のハ行は規則的にパ行で現れます。なので聴覚印象は独特ですが、特段難しい音はありません(学習者がきちんとf,vを発音できるかは別として)。

短母音は4つです。a, i, uと、この環境では出せないのですが舌尖母音あるいは中舌母音と呼ばれる音がありまして、これの扱いが難しい。
単独、または有声子音(g,v,dとか)といっしょにこの母音が発音されると、zと聞こえます。無声子音(k, p, tとか)と結びつくと、sに聞こえます。この音は、もともと「い」の音でした。舌がより前に上にズレて、s, zを発音するのとほぼ同じ構えになっているのです。

「人」という語、宮古語の発音を今仮に便宜的にローマ字で示すと、pstuとなります。仮名書きすれば「ぷすとぅ」ですね。
「平良の人の気持ち」、これを宮古語で言えば psara-nu pstu-nu ksmuと書き写せます(「気持ち」は共通語の「肝」にあたる語です。「ちむどんどん」の「ちむ」)。
ps, ksと二重子音のようになるので、Ψ(プサイ)、Ξ(クサイ)を用いれば解決、つまりギリシャ文字を使えば宮古語は書ける訳です

この音をどう書くかが興味深い。例えば平良市街地で見かけた看板ですが、

手書きで”小さいズ”が書き込まれています。

他の例を見てみましょう。
「心、気持ち」のksmuがどのように書かれているか。宮古語久松方言で歌うシンガーソングライター下地イサムさんの歌詞カードと、
佐渡山政子『んきゃーんじゅく』かたりべ出版、1994、
川満幸弘『宮古方言の世界 スマフツ会話集−下地方言』花view出版、2019
の3点で比べてみます。

川満氏の本では「キスむ」、佐渡山氏の本では 「きぃむ」と表記され、イサムさんの歌詞カードでは一貫して「き゜む」が用いられています(アルバム「開拓者」で見てます)。

川満方式はカナを混ぜることで、この部分が一拍であることを示しつつ音も表記する方式、と言えます。それに対して佐渡山は、対応する音を拗音のようにして書いています。2拍と受け取られないように拗音にする、というのは奄美語の岡村式と同じです。ところが、この方法だと、「てぃ」「ふぃ」など、他の拗音と表記が同じになってしまいます。ここをどう整理をつけるか。下地式は表音せず、ただ共通語とは読み方の大きく異なる拍だよ、ということを示すにとどまります。

私自身は、ローマ字で書くのがいいかなと考えているのですが、イサムさんの歌をよく聞いてみると、本来のサ行ザ行にくらべて、この母音のときは多少息が弱く感じます。上では便宜的にs,zを使いましたが、本当なら書き分けなくてはいけませんよね。

***

さて、ここまでいろいろと書き連ねましたが、どうしてこんなに長くなったのか。実は、琉球諸語の正書法は、筆者の卒論のテーマだったのですね。

そして筆者が卒論を書き終えて程なく、こんな本が出ました!

琉球のことばの書き方 ―琉球諸語統一的表記法

素晴らしい。話者のみなさんが、自分たちの言葉を書き留めることができます。フォントの関係であらゆる場面で使える訳ではありませんが、手書きであろうと、記録を残すことが大事です。そして、手紙が書ける。日記が書ける。この方がもっと大事ですね。

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