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10年をつなぐレール~ましろの草子3

1 はじめに


2023年3月18日。地球の中の小さな島国、日本において、相鉄線と東急線の直通運転が開始され、新横浜駅に東急線の駅ができた。


https://www.tokyu.co.jp/railway/service/activity/network/chokutsusen/


大したことのないニュースに思えるかもしれないが、首都圏に長年住んでいた鉄ちゃんの真しろにとっては、誇張を恐れずに言えば、歴史的なニュースである。渋谷と新横浜、そして最終的には沼南エリアまでが1本につながるということは、かなり驚くべき変化なのである。新幹線との関係で言えば、東急線や相鉄線沿いから、東海地方や西日本へ出やすくなったということにもなる。


そして今からちょうど10年前、この歴史的変化の前段とも言える大きな変化があった。今回は、10年前の春に起きたことを振り返りつつ、自分の人生とそれらを照らし合わせて考えたことを記しておきたい。


2 10年前の春


2013年3月。東日本大震災が記憶に新しく、まだスマホの普及率が今ほど進んでおらず、インスタよりラインが主流だったあのころ。東急東横線と東京メトロ副都心線の直通運転が開始された。これにより、JRを使わなくても、横浜、渋谷、新宿、池袋、そして埼玉県に1本で行けるようになった。有楽町線の支線のような扱いを受けていた副都心線が、首都圏の超重要路線になったのである。東横線の渋谷駅は地下に移動した。


それ以前の東横線は、中目黒駅から、東京メトロ日比谷線と直通していた。今も、直通運転こそしていないが、中目黒駅では向かいのホームで乗り換えができるのはその名残であろうか。


10年前の春、中学生だった真しろは、鉄道好きの仲間と、日比谷線に直通する東横線を最後に味わうために、放課後に乗りに行った。天気はよく覚えていないが、少し寒かったと記憶している。


それまで当たり前につながっていた路線が新しい路線とつながり、駅が大きく変わる。それがどういうことを指すのか、あのころの真しろはあまりよく理解していなかった。ただただ、明日から直通する電車の種類が変わるぐらいの気持ちだった。


今では当たり前になってしまったけれど、横浜から池袋まで、JR以外の路線を使って1本で行けるということはどうも信じられなくて、初めてそれを体験したときはワクワクしたものだった。しかし逆に言うと、東横線の渋谷駅が地上にあった事や、副都心線の終点が渋谷だった時代があることを知らない人もきっとたくさんいる。今そこにある当たり前は、遠く離れた時間という線路の向こうでは、きっと全く違うふうに見えているだろう。


3 真しろが走った10年の線路


あれから10年。中学生だった真しろも20代半ばになり、今はイングランドの田舎町にいる。自分の今いる駅がこんな場所だなんて、10年前の駅にいた真しろは、きっと信じられないだろう。


あのころ真しろがいた駅は、正直明かりの少ない暗い駅だった。たくさん大きな挫折を経験したからだ。ずっとクラスの成績が1番だったのに、調子が振るわず、全然1番を取れなくなった。ちょっとしたことで自分を責めるようになった。そして自分を責めるなと言ってくる大人たちのことも嫌だった。自分の周りでは大きないじめが起きたり、恋愛関係でもめる友人たちがいたりして騒がしかった。言ってしまえば、よくある中学生の悩みを全身に背負いながら、駅を歩いていた。


中学生のころから、留学とか海外で働くとか、そういうことを将来やってみたいとは思っていたから、きっと10年後の線路が日本じゃないところに延びていることはもしかしたら信じられるかもしれない。でもその間にどんな道を通って、どんな人に出会って、どんな壁にぶつかって、どんなトンネルや鉄橋を越えたのかは知るよしもないだろう。


言語学を極めようと思ったこと。電車だけじゃなくて、ゲームやアニメが好きになったこと。一生持てないと思っていた包丁を、今ではほぼ毎日持っていること。打ち込んでいた部活は高校時代にはやめてしまうこと。たくさんの人を傷つけたり、たくさんの夢を諦めたりしたこと。大切な人がどんどん増えたこと。そういうたくさんの駅の先に、10年後に自分の線路がたどり着く駅があった。ずっと後ろに見える駅で、暗い顔をしながら前を見据える彼は、それを知ったとき、どう思うのだろうか。


4 10年をつなぐ線路


10年は長いようで短い。街も人も、音もなく変わっていく。あのころ真新しくて夢みたいだった真実は、当たり前でなんてことのない現実になっていった。自分が高校生になり、大学生になり、イングランドでの修行を決意する中で、あのころにはなかったビルが建って、あのころにはなかったレストランができて、あのころには流行っていなかった物が流行って、あのころ若かった人たちは年を取った。そしてあのころつながっていなかったことが、街が、世界がつながっていった。


2019年冬、相鉄線がJRと直通し、東京の中心地から神奈川県の県央地域までのアクセスが簡単になった。高輪ゲートウェー駅もできた。そしてそれと同じころCOVID-19によって世界は分断された。オリンピックが開催され、それから程なくして世界のあちこちで紛争のニュースが流れるようになった。中高時代の多くの友人は、真しろよりも先に、この春から社会人になるらしい。そんな日々を経て、10年間という時間はつながっていく。こんなめまぐるしく変化する線路の上では、自分が今どこを歩いていて、どこへ向かうべきかも分からなくなりそうだ。


しかしそれでも、真しろも、そばにいる人たちも、あの電車も、どこかへ向かって走り続けている。


10年後、真しろはどんな駅で、誰と一緒にコーヒーを飲んでいるんだろう。いや、コーヒーカップを手にしながら走っているのだろうか。コーヒーも買えないほどひもじい思いをしているだろうか。どんな風でもいい。ただ、10年先の線路で、世界をつなげていてさえくれれば。


5 Song For You


10年前に自分がよく聞いていて、ちまたでも流行っていた曲はなんだっただろうかと思ってひらめいた曲として、福山雅治の、『誕生日には真白な百合を』をチョイスした。家族や友人たちを信じられなかったとき、それでも自分の居場所になってくれるのは家族なのかもしれないと思わせてくれた曲だ。そういえば、この曲のタイトルに、「ましろ」が出てくるのも好きな理由だ。


ご試聴になりたい方はこちら。

https://spotify.link/7UQP9ovYgyb

6 おわりに


鉄道関係の記事を書いたのはこれで2度目だが、今回もいろいろと熱くなってしまった。真しろとしては、帰国して新しくなったTokyoを見るのがとても楽しみである。それまで、どうか当たり前の毎日がつながりますように。


Have a Nice Day!

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