言葉のおまじない「そんな時もある」
誰かの言葉や言動に一喜一憂したり
自分の不甲斐なさや器の小ささに失望することがある。
そんな時。
私は、心の中でそっと、このおまじないを唱える。
“自分”へ
最近でいうと
食器洗いの時に、よく泡で食器が手から滑り落ちてハラハラしたり
ものを置く時、指や腕など、必ずどこかを擦りむいたり
本を取ろうとして、指を切ってしまったり
…ついには、卵一つ割るのさえ失敗していた。
些細なことなのだけど
どうにも小さな事故が“連続で”起きているような気がしてならない日が続いた。
そして、いつも思う。
ものを落とすと、心のショックが大きいのはなぜなのだろう。
例え食器が割れたわけではなくても、少なからず心が傷つくような気がするのだ。
こういう時。
「そんな時もある」
と、呟く。
…すると
「この状態は、永遠に続くものではない」と思える。
「ちょっと今週ついてないな」くらいに思えたり
「今はやめておきなさいってことかも。」と、何かに導かれ、この事故は自分のせいではないのかもしれない、と思える時もある。
ただちょっと運が悪いだけ。
今日は出かけるのはやめて、家でゆっくりしようかな。
…こんなふうに。
目に見えるものでなくても
なんだかイライラしやすいな、とか
なんとなくだるいな、とか
仕事が捗らない、言葉が出てこない、うまく笑えない。など
なんとなく物事がうまくいかない時にも有効だ。
“誰か”へ
誰かの“言動”や“言葉”が気になるとき。
時には傷ついたり、腹を立てることもあるだろう。
そこで、このおまじない。
相手に対して
「そんな時もあるよね」
と“心の中で”唱える。
…すると不思議なことに
今の相手の言動は、きっと今この瞬間までにいろいろな出来事が重なって、今の結果につながっているのだろう…なんて想像する自分が現れる。
例えば最近では
「あれ、いつもよりも口数が多く、ストレートな表現してるなあ」と思った人がいた。いつもはどちらかというと寡黙な人だ。
そこで、様子を伺っていると
どうやらお酒をたくさん飲み、酔っているようだった。
私は心の中で、唱える。
「そういう時も、あるよね」
飲みたい時もあるさ。
もしかしたらお酒を飲みたくなる出来事があったのかもしれない。
いつもと違う自分になりたい時もあるよね。
するとその時の相手の言動に対してほんの少し、寛容になれた。
さらに自分自身に対しても。
「この人だって、完璧じゃないんだ」
「誰しも、こういう時もあるんだ」
…そう思うと、
誰しも完璧じゃなくて当然のように思えて
一種の開き直りに見えなくもないけれど
「人間らしいな」くらいに思えるような気がする。
このおまじないのポイントは、“心の中で”唱えることだ。
直接本人に伝えて、良い方向にいけば問題ないかもしれないけれど
「一体何がわかるというんだ」
「わかったような口を聞かないでくれ」
と思われては、元も子もない。
これはあくまで、“自分の心に折り合いをつけるため”のおまじないなのだ。
人間として生まれ落ちたからこそ
賢く、豊かな面もあるけれど
愚かで、貧しい面もある。
生きていれば当然、
うまくいかない時だってあるさ。と思う。
失敗が続いたり、傷ついたり
感情を振り回されそうになった時。
大丈夫、永遠には続かない。という“安心感”を得られて
さらに、ちょっとだけ人に“寛容になれる”おまじない。
心の中で、そっと唱える。
きっと来週からは
食器も落とさず、うまく洗える。怪我もしない。
卵もうまく割れる。
あの人も、元通り。
私も、いつも通り。
きっと、何もかもうまくいく。
鼻歌でも歌って
明日が来るのを楽しみに待とう。
2024.8.4