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悲しみは内弁慶

悲しみは怒りの姿を借りてやってくる。

悲しみと怒りはすぐ隣にいる、仲良すぎ。
引き離してやらないと力を合わせて襲ってくる。

ちゃんと、あなたはほんとは悲しみでしょうよ?と分けてあげないといけない。
俯瞰するということ。


この数年、私を小馬鹿にした態度をとる友人がいた。
私の過去のエピソードや容姿のことを少しずつイジってくる。

できるだけ避けてきたけど先日、複数人で出かける機会があった。

その人は、2人きりだと何も起きないのに、3人以上になると私のことを少しイジる態度に変わる。うっすら私の不愉快ポイントをさわ〜っと撫でてくる言動を頻繁にするようになる。

6年ぶりくらいにその洗礼を受け、忘れていた過去のイライラと、今まさに湧き起こっているグツグツした気持ちを抱えたまま、数日間過ごした。

その友人とは15年以上の付き合いがある。昔はお互いの悩みや考え方について深く話すことが多く、信頼していた時期があった人だった。

それがいつの間にか、笑いを取るために私を使っている瞬間があることに気づき、
周りから「あの子、『ひとみちゃんはなに言っても大丈夫だから〜』と言ってたよ」と言われるようになり。

優しい、とか、傷つかない、とか思われがちだけど、嫌なことがあっても言い返すことができないだけ。

そして、失望するのが早いだけ。
へらへらして誤魔化したり、できるだけ会わないようにそっと距離を取ったりして、早めに心の扉を閉じるのが私の対処法。

そうやってうやむやにして、自分の気持ちにも関係性にも蓋をしていた。向き合わなくていいように。
嫌なことされても何も言わない=受け入れてる と思われた典型。
笑って許してくれる人間だと思わせていた私の態度も良くなかったんだろうな。


共通の知り合いがいない全くの第三者にこの話をするとき、めちゃくちゃ手が震えて、頭がぼーっとするくらい熱を持ってた。

私は諦めているつもりだった。なのに話しながら語気が荒くなっていることに気づいた。怒っているのかと思ったけど吐き出してるうちに、「あぁ、私は悲しかったんだな」と自覚した。

信用できると思ったから話していたあれこれが他人に言いふらされ、時にはネタにされ、挙句、LINEブロックされていた。

信頼が崩れ、悲しくて辛くて、でもすぐにはそう思えなかった。
私が避けていると思ってた人、実は向こうも私のことを避けていたのかもしれない。お互いさまだったかもしれない。

信用と引き換えに渡してしまった私のセンシティブな情報は、もう取り返せない。
私の知らないところで秘密がまた誰かに知られてしまうのかと思うと、つらいし怖い。

そういう悲しみと不安が、瞬発的に怒りとして表に出てたんだなあ。

気持ちを吐き出した日は半日くらい手の震えが止まらなかった。
人に話をすることで向き合った結果、ショックだったんだなと思う。

でも話を聞いてくれていた人から、
「デトックスだね。これを機にきっぱり捨てられたってことだよ。拾う神ありだからね。大丈夫」と声かけをもらった。

私を1人の人として尊重してもらえない関係性とはオサラバしないといけない。

友だちと離れてしまうのは寂しい。
でも失うことの怖さから逃げず、自分を守る勇気を持たねば。

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