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78.働かないアリに意義がある

なぜこの本を読もうとしたのか。
完全にきっかけを忘れてしまいました。。

たしか誰かがおススメしていたのをスクショ取っていて、
それを見返して、Amazonの欲しいものリストに入れ、
この前図書館にいったときに思い出して借りました。

ホントにきっかけが思い出せませんし、
なんかビジネス本っぽいと思って買いましたが、
アリの本でした。

感想。簡単に書かれているという割に難しかったです。
高1で生物を完全に捨てた僕からしたら、難読でした。

一方で、知らないことばかりあって面白かったです。

なんとか、自分の現状に落とし込もうと思いましたが、
落とし込み切れているかどうかはわかりません。

でも自分なりに感じたことを書いてみます。

働かないアリとは

一応、本のタイトルにあることなので、まずここから見ていきましょう。

働かないアリ=働きたくても働けないアリ
のことです。

本の中で、掃除をすることに例えて説明されていたのがとてもいい例でした。

綺麗と思う基準は人それぞれであり、
少し散らかっている状態で、掃除を始める人もいれば、
床が見えなくなって初めて掃除を始める人もいると思います。

要するに腰が軽いか重いかの話です。

働かないアリは腰が重すぎるので、腰が軽いアリに先に仕事をとられてしまいすることがない。
働かないアリなわけです。

この基準のことを反応閾値と言います。
反応閾値がそれぞれ違うことで働かないアリが生まれているわけです、これがいい結果をもたらしている事実があるそうです。

これは次で整理しましょう。

働かなくても意義があるとは?

結論、みんなが倒れたときに働かないアリが働けるから、意義があるのです。

動物はみんな動いています。
動いていると勿論エネルギーを消費します。

行動が続けば、動物は疲れます。
みんな疲れてしまったら、社会は維持できません。

では、シンプルにみんなが疲れなければ、
社会は維持でき長い期間存続できてしまいます。

みんなが疲れないためには、適度に休んでいる必要があり、
働かないアリがまさに万が一の働くアリなのです。

働くアリ・働かないアリを生み出しているのは、先ほど書いた反応閾値による違いです。

反応閾値による多様性が、その社会の長期的維持に貢献しているのです。

こう聞くと面白いですよね。

なかなか日本の会社内でこのような構図は見られないと思いますが、
未完成なコミュニティでは人間社会でもこんなのは日常茶飯事ではないでしょうか。

あいつはいつも働いてないのに、今日だけはいてくれて助かった。

みたいなシチュエーションもあると思います。

現状見ると大して役に立っていませんが、
緊急事態のときは大役果たしてますね。

本のタイトルの話はほぼここで終わりです。
ここからは、

他人のために働く

「アリ・働く」と聞くと、
働きアリという言葉が思い付くのではないでしょうか。

私たち人間もいわば、働き人間なわけです。

誰のために働ていてるかというと、少なくとも自分で生きていくために必要な報酬を得るために、最低限働いていますよね。

いわば、自分のために働くわけです。

一方、働きアリは自分のために働かず、
他人のために働いています。

アリ社会では女王の血縁が非常に大事かつ、次期女王をつくることも大事になってきます。
これは社会を維持するためです。

アリにとっては、社会がなくなることが一番タブーなので、
社会がなくならないための行動を必要とされます。

その行動こそが、自分の子供を産むのではなく、
女王の血を少しでも持つアリのお世話をすることです。

これが人間社会においては、滅私奉公と言われる行為です。

こんなのやってる人、なかなかいないですよね。

ですが、アリ社会ではこの行為が
利他行動であり、利己行動になります。

これは人とアリの社会性や遺伝形態が異なるのが大きな理由です。

この辺はガチ生物学です。(個人的に)
気になる人はぜひ読んでみてください。

自分さえよければ

ここまで読むと、働こうとしてないわけではないし、他人のために働いているアリはみんないいやつですよね。

一方で、皆さんが想像する本当に働かないアリもいます。

自分さえ良ければいいと思ってる人、いますよね。

ちなみにこういうアリのことを、
チーターと呼ばれています。

ではチーターはどのような影響を社会に与えるのでしょうか。

答えはシンプルで、社会はチーターを求めません

チーターが増えていけば、
そのコミュニティは崩壊へと進んでいくわけです。

しかもチーターは賢いので、
あるコミュニティがつぶれそうになれば、また他のとこにチーターは移動します。

そうなると、移動範囲を限定させたり、コミュニティ自体を潰すことで、チーターを潰すほかないですね。

ではこれを人間社会で捉えてみましょう。

昨今どの会社もグローバル化が謳われていますよね。

また新型コロナウイルスの影響で、働き方に大きな変化が訪れました。

ネットワークの進化によって、どこからでも働くことができる、どんな働き方も許容されてしまう時代になりました。

これって、チーターの移動範囲をどんどん拡大していますよね。

正直どうすべきか?
という観点では答えのない議題にはなります。

なので、集団の構造化の難しさを考えさせられました。
働かないアリが悪い意味じゃないよ、というのも一つの理想論に過ぎないのかもしれませんね。

進化は何のためか?

人も虫も時代の変化に沿って進化を続けてきました。


進化は何のためか?という問いに対して、

生物学的な難しい考え方はいったん置いておいて、
一番考えやすいのが、環境に適応する適応進化だと思います。

そして進化が必要とされる場面というのは、私たち人間にとってもそうですが、その環境に違和感を覚え、適用しようとする場合だと思います。

これらは主観もしくは独りの世界ではありえないことです。
たぶん現代に生きる人で未だに自然に適応しようと進化をしている人はいないはずです。

要するに進化というものは、
相手なしには起こり得ない事象なのです。

ここからの言葉は僕の解釈ですが、
今辛い思いをしているあなたも、その環境がなければ、起こり得なかったわけです。

進化という捉え方をするだけで、少し前向きになれる気が僕はしました。

さいごに

変わる世界、終わらない世界がどのようなものになっていくかは誰にもわかりません。しかし願わくは、いつまでも無駄を愛し続けてほしい。短期的な効率のみを追求するような世界にはなってほしくないと思います。
ちっぽけなムシが示しているように、そういう世界は長続きしないかもしれませんし、なにより無味乾燥で、良きる意味に乏しいと思います。

p.188より

はじめに触れましたが、働かないアリとは働きたくても働かないアリであり、いつかの非常事態に備えているアリです。

今の時点での価値は低いかもしれませんが、いつかきっと意義を持つ日がやってくるはずであり、働かないアリによって、この素晴らしい世界は続いていくのです。

社会は一様ではなく多用であることこそ面白い。

我々みんなの存在、人間以外の存在が学術的に肯定される内容に思えました。

難しい話でしたが、私なりに理解した内容を書いてみました。

事実は一つ。解釈は無限。

最近とある知人に言われた言葉です。

僕なりに生物学の本から受け取った解釈を並べてみました。
ぜひあなたの解釈と比較してみてください。

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