見出し画像

弓が教えてくれたこと(前編)

今回は需要のある記事ではなく、
自分自身が書きたいことを思考整理する
目的も兼ねてただ書き綴りたい。

まず僕にとって人生とは、弓道である。
弓道とは、人生であり、僕自身である。

そのくらい、弓道は僕の真ん中を作っている。

自身も弓道をしていた父の提案で、
高校から弓道を始めた僕は、
初めはただ的に当てたい一心で楽しんでいた。

幸いにも努力の仕方※はそれまでの人生で教わり、
身につけていたのでぼちぼち順調に上達した。

※大量の習い事(小学生の頃は1週間に7〜8つ。
特に野球とピアノ)や勉強の中で、学んだ。

・優先順位の付け方
・予定管理
・ノートの活用方法
・人の頼り方
・練習量の確保と質の向上
・本から学ぶこと
・他人や自分の失敗から学ぶこと
・継続すること

しかし、
僕がやっていたのは"弓道ではなかった"



高校時代(家族の影響)

1.的あてゲームだ

僕は、高校1年の1月、
弓道部に入って10ヶ月のときに出場した
「全国選抜弓道大会県予選」で個人優勝した。

正直、めちゃくちゃ嬉しかったし
努力が初めて賞賛される形で報われたと感じた。

真っ先に父へそのことを報告したが、
その反応は僕の想像とは違っていた。

「お前のは弓道じゃなくて的あてゲームだ」

褒めてもらえると思っていたのに、
父は静かにこの一言をこぼした。

それ以上は何も言うことなく帰路についた。

弓道の大会は、設定された本数の矢を放って
より多くあたった人が勝つシンプルなルール。
僕は、ただ当てればいいと思っていたので、
形も汚いし礼儀作法も手抜きだった。

正しい形がないから、正しい心もなかった。

それ以降は、弓道とは、精神とは?
考えながら練習する日々だった。

2.負け犬の遠吠え

1年生で県大会優勝した僕は2年生になって、
特に結果を出すことはなかった。
やはり、形も心もなかったので、偶然の優勝
だったんだと納得した。

そんな中、大会で優勝した人が自分よりも
下手だったという愚痴を家でこぼしていたら、
父にこう言われた。

「負け犬の遠吠えだな、一番かっこわるい」

たしかに、自分が負けた嫉妬の感情で
いっぱいでとても惨めだった。

それから、負けて悔しくても文句は言わず
どうやれば次により良い結果を出せるかを
ひたすら考えて稽古するようになった。

むしろ、勝ったときこそ静かに反省し、
負けたときこそ堂々と胸を張っているように
変化していった。

3.伸びる前には一旦縮む

2年生の終わりごろ、
チームとして少しずつ強くなっていく中で
僕は、部長としてのマネジメントも
自分の実力も不足していた。

毎日、悩みながらチームの練習を考えて
自分はひとり残って練習し続けた。

朝練1時間、部活2時間、自主練3時間。
休日はほぼ丸一日、道場で練習。

それでも、納得はいかずに下手なまま。
不安と不満でいっぱいの中、父からメール。

「伸びる前には一旦縮むもの」

今はレベルアップの前の時期だ。
バネが反発するときのように、
今は縮んで力を蓄えているとき。

そこで諦めずに伸びてジャンプするとき
まで頑張る力をもらった。
結果が出ず折れかけた心を支えてくれた。

いわゆる結果目標ではなく、
行動目標を追うべき時間だったと思う。

4.感動させる弓道

そして、高校最後の大会
「高校総合体育大会県予選」で
僕はチームで優勝し、インターハイでは
16位タイで高校弓道を終えた。

一番印象に残っているのは
数年前に亡くなった祖母の一言。

「あなたの弓道を見て感動した」

大会で優勝したのと同じか、それ以上の
幸福感に包まれた瞬間だった。

自分の弓道で見る人を感動させられる。
勝ち負けだけじゃなく、弓を引く姿で
表現できるものがある。

そう教えてもらった。

それから、僕の弓道の目的は
見る人を感動させる空間を表現すること
になった。

5.弓道になった

県予選ではやや不調だったものの、
仲間に助けられて優勝させてもらった僕は
インターハイで絶好調だった。
というか、矢が外れる気が全くしなかった。

勝ち負けとは違って、チームのメンバーで
弓を引くことが楽しくて仕方ない
そういう気持ちだったから安定していた。

インターハイを終えて、父から言われたのが

「チームの要として立派に弓道をしていた」

ここで初めて僕の弓は
的あてゲームではなくて、弓道になった
(少しは近づいた)と感じた。

ここまでが僕の高校時代。
長くなったので、後編は改めて🏹

いいなと思ったら応援しよう!