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『ひこばえ』

やっぱりこういうのが作者の真骨頂。

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『ひこばえ』重松清


世間が万博に沸き返る1970年、洋一郎の父は母と離婚後音信不通に。
48年ぶりに再会した父は、既に骨壺に入っていた。
遺された父の生の断片とともに、洋一郎は初めて自分と父親との関係に向き合おうとする。
朝日新聞好評連載、待望の刊行!(Amazonより)


「父」でありこれから「祖父」になる主人公。だが「息子」であった思い出が少なく、48年前に別れた父と、骨壷という形で再会し、新たな出会いを交えながら「親子」をやり直していく。

主人公の家族と、後藤さんの家族が交互に書かれていて、別々のようだった物語が、主人公自身の父に対する想いの変化に伴って徐々に絡み合っていき、下巻に入るとひとつの物語となり厚みが増していく。

出てくる登場人物がみんな人間臭くて好きだし、誰かに疎まれていたとしても誰かにとっては素敵な人って真理を実感する。

RHYMESTERの『POP LIFE』の宇多丸のリリックの

「こちらから見りゃサイテーな人 だがあんなんでも誰かの大切な人」

てところと通じる部分があるかな。

ともに父に迷惑をかけられた小雪さんと母が、「思い出は身勝手なものに決まっているから楽しい思い出だけつくっちゃいなさい」と教えてくれて、「苦労やら気兼ねやら、ぜんぶひっくるめて幸せな人生だった」と言ってくれる。主人公にだけではなく、父を含めこの物語のすべてに救いが訪れた瞬間だと思う。

生まれてから死ぬまで、どういう思いで生きていくか、様々な人物の言葉を通してたくさんのアドバイスや気づきを教えてくれる。読んだ直後よりも、感想を書くためにページを開き直している今のほうがずっと作品の重みが増している。

兄弟で地元に住んでいるのが自分だけで、両親のこれからや「親の死」というものが、遙か未来の全く想像できないものではなく、少し姿が見え始めてきた30代だからこそ感じるものがあったし、10年20年後に読んだらもっと色んな捉え方をするんだろうな。

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