知らない土地に馴染めなかった私は今ようやく馴染む努力をしている
滋賀は学校の地理の授業でしか習ったことがない。もちろん行ったことはなかったし親戚の中にも住んでいる人はいなかった。弟がたまたま私が引っ越す直前に住んだことがあるだけだった。
滋賀に引っ越したのは夫の勤務地だからという理由だけ。他にはなんの理由もない。夫も滋賀の人ではない。
最初に今の家に1人で行ったのは結婚式を終えた日のことだった。私は電車を乗り間違えた。恥ずかしいなんて気持ちを通り越し「私はどこで乗り換えたらいいの!」「誰か教えて!」と叫びたいくらい。
確かにそのまま乗っていたらとんでもない土地に行っていた。(今ならその土地のことは少し分かるけど)何とか途中下車して引き返し新居まで辿り着く。
夫が全て新居の段取りをしてくれていたので私は何も新居のことを知らず。住所には「大字」がついている。そこからも田舎具合いが分かるというもの。周りには田んぼがあり夜中は虫の声でうるさかったりもした。
そんな田舎に来て一番に思ったことは「みんな、ダサい」。すごく上から目線なのだが私の住んでいたのはは比較的都会でオシャレな街であった。自分もそこそこオシャレには気を使っていた。当時はタイトスカートもちゃんと(?)穿いてたし。
買い物も不便でだんだんネット通販一択になってきた。電車に乗って行っても欲しいものが買える保証がないから。それに車を運転しない私は交通の便がいい所しか行けない。
だんだん悲しくなってきた私は何度も実家に帰った。電車だと片道3時間かかったがしょっちゅう帰った。実家からバスで行ける駅前はスタバもドトールもマクドもミスドもケンタッキーもケーキ屋も何もかもある。
そこで買い物したりお茶するだけで幸せだったのに。なぜその幸せを失ってしまったのかさらに悲しくなっていく。ホームシックがひどかった。子育て中も子連れで里帰りを何度もしていたしいつまでもそれが続けられると思い込んでいた。
父が急逝して状況はガラリと変わる。母は認知症になってしまった。当初は自宅にいたが手に負えなくなり高齢者向け住宅に移った。実家がなくなってしまったのだ。
父の死から14年。帰る家をなくした私はずっと滋賀にいる。不思議なことにあれだけ「ダサい」と思っていたのにそれが普通になってしまった。今や私はパンツしか穿けなくなっている。
今まで関心のなかった自然に目を向けるようになって植物園に行ったり。琵琶湖へ行けば心が洗われて癒される。滋賀の名産なんて知らなかったのにクラブハリエのバームクーヘンを美味しいと思う。
そういえば野鳥の存在も知らなかった。川べりを歩いているとサギを見掛けることもあるし、知らない野鳥が近所を飛んでいることもある。今までの人生って知らないことの方が多かったのかな。都会に住んでたら絶対分からないこともあるんだな。
あと何年生きるか分からないしここに後どのくらい住むのかも分からない。でも、今は堂々と「滋賀に住んでいます」と言える。って、もう大々的にnoteで宣言してるんだから郷土愛が強い存在だと思われてるんじゃないかな。
25年も経つと人間は確実に変わる。