推しに押されたあのころの私
私は人生で何回か入院を経験している。そんな時私は読書に精を出した。小説がメインで、特に好きだったのが東野圭吾さんだった。その中でも「容疑者Xの献身」が大好きで本のイメージを頭に思い浮かべることすらできた。
あまりにもその本が気に入ったので、ちょうど映画化されていた作品を観に映画館まで足を運んだ。そこで福山雅治さんのキラキラしたオーラに吸い込まれファンになった。
すっかり大ファンにはなったとはいえ、最初はCDを聴いて歌詞に想いを馳せるだけのお茶の間ファンだった。しかしある日突然ライブに行こうと思い立ちファン友達を作り、ここでライブデビュー。
行ったライブは地元関西にとどまらなかった。横浜、名古屋、広島と遠征もして、計20回以上にも及ぶ。だいたい10年以上前、当時私は40歳前後で、息子を夫に任せて足軽にどこへでも出かけた。時には友達の運転でドライブがてら遠征したこともある。そんな時はいつも友達と同じホテルに泊まり、夜になると打ち上げが開かれてそれはそれは楽しかったのを覚えている。もちろんおひとりさま参戦もあり、バラエティに富んだ楽しみ方をしてきた。
こうして遠征となると半ば旅行で子供みたいにはしゃいでストレス発散をするだけでなくエネルギー充電を常にさせてもらっていた。おかげでいつも家族の前では笑顔でいられたし、福山さんがテレビに出ていると息子と2人で騒いでテレビを楽しむ時間が持てた。息子は私の好きなアーティストのCDをよく聴き、ライブのDVDも食い入るように観ていたので、当然親子の会話も増えた。
息子はカラオケなどの爆音をとても怖がる子だったのでライブには決して連れて行かなかった。しかし私は福山さんファンの友達にライブ以外で会うときはたいてい息子同伴で、みんなに息子をかわいがってもらった。一人っ子の息子も毎日私とばかり話していたら飽きてくる面もあったと思うし、私自身も息抜きをすることができたしで、なんという一石二鳥。
夫は私のライブ参戦にいい気はしていなかったようだったけれど、当時の私は青春を取り戻したかのように生き生きしていて毎日が楽しくて楽しくて仕方なかった。
そんな私のライブ人生は突然父が亡くなったことを理由に終わりを告げた。今となっては私には推しはいない。しかしよく考えてみると毎日阪神の試合結果について息子と花が咲く。
ということは、私にとっての今の推しは阪神タイガースということだろうか。まさか今の自分に推しが存在するとは思わなかったけれど、私にとっての推しは生活の潤滑剤であり、息子との会話を増やしてくれるありがたい存在なのである。
これはへんいちさんの指導のもと、5月26日に綴ったものです。
へんいちさん、来月からまたよろしくお願いします。
ここで当時の私の「推し語り」をさせてください!
なぜ好きな(好きだった)のか?
1番好きだったのは「楽曲」です。
皆さんが知らないような曲の方が私は好きだったりします。
下に何曲か貼り付けておきますね。
2つ目は「トーク力」です。
ラジオ(福山雅治のオールナイトニッポン 魂のラジオ)において顕著だったわちゃわちゃした内容のトーク。
今は歌番組がないので残念ですが、昔は「HEY!HEY!HEY!」などでいろいろやってくれていました。
ましゃと言えば「エロトーク」と思う方もいらっしゃるかと思いますが、全くそんなことはありません。
至極真っ当なことも言います。
(真っ当過ぎてちょっとついていけないと思うこともしばしばありました)
しかし、突然の結婚発表…
いや、特に突然ではなかったのです。
噂は現奥さまをはじめ他の方ともありました。
そして、父の突然の死…
そろそろやめなさいと言われているようでした。
ここで私は社会不安障害という病気を発症します。
それは「対人恐怖症」と言った方が理解されやすいでしょうか。
ライブなんか絶対ムリでした。
そして私のましゃ愛は終わりを告げました。
ライブのチケット調達の苦しさ
グッズさんざん集めたこと
ましゃ友と遠征に行って過ごしたひととき
雑誌もほぼ全買い
CDが出れば初回限定盤と通常盤を全て購入
しかもB’zや藤井フミヤのライブも行っていた
散財バンザイでした。
過去の汚点、黒歴史です。
好きな曲はこれだけにあらず。
でもとりあえずこの5曲をどうぞ。
せっかくの記事にオマケがついてしまいました。
でも全て過去のお話。
今の推しは阪神タイガースとイケメンバレーです〜🐯🏐
#なんのはなしですか
(つけちゃった…)