サッカーが与える絶望と希望。ティトー、ユーゴ内戦、そしてオシム1/9
#1:なぜユーゴはわかりにくいのか?
■『ウルトラス』に寄せられた多様な感想と、共通する意見
「この本は本当にやばい」「サイモン・クーパーが書いた『サッカーの敵』以来の、本格的なノンフィクションですね」
昨年11月に出版した『ウルトラス 世界最凶のゴール裏ジャーニー』は予想以上の反響があった。イタリア在住の碩学である片野道郎さん、ノンフィクション作家の宇都宮徹壱さんなどからご推薦のお言葉をいただいたのは、望外の喜びだ。またサッカーファンに限らず、一般の読者の方々からも、多くの好意的な感想が寄せられている。
ただし頂戴した感想には、一つの共通点があったように思う。旧ユーゴ諸国、クロアチア、セルビア、コソヴォなどを巡る章は重厚で複雑、かつ多くを考えさせられたという意見だ。
■あまりにも難解で複雑な世界の火薬庫
これは僕自身も同感だ。ヨーロッパは多種多様な民族や文化、宗教などが入り乱れているが、ユーゴはその中でも特に複雑な構造になっていたからだ。
そもそもバルカン半島は、ローマ帝国やオスマン帝国、ビザンツ帝国、オーストリア・ハンガリー帝国などが代わる代わる支配してきたし、無数の民族が延々と血なまぐさい戦いを繰り広げてきた。ましてや19世紀後半からは民族独立運動が激化しただけでなく、西欧列強が進出したために状況はさらに混迷。「世界の火薬庫」と呼ばれる一触即発の状況が生まれ、ついには第一次大戦が勃発する発火点となった。
■民族の対立に拍車をかけた第二次大戦
第二次大戦中には、各民族が一層憎しみを募らせている。クロアチアでは「ウスタシャ」という極右勢力が、ナチスドイツと組んで「クロアチア独立国」を樹立。強制収容所まで設立して、セルビア人やクロアチア国内の反対派などを大量虐殺した。
一方、セルビアでは「チェトニック」と呼ばれるゲリラ組織が結成される。この組織はナチスドイツや「ウスタシャ」だけでなく、祖国を解放すべく戦っていた「パルチザン(人民解放軍)」とも戦火を交えた。アルバニアでは「国民戦線」と呼ばれるファシスト勢力が影響力を拡大。やはり共産主義勢力や上記の「パルチザン」に銃口を向けるような有様だった。
■誰にも実像がつかめない泥沼の戦い
この種の出来事は、ほんの一例に過ぎない。実質的にはユーゴだけでなく、バルカン半島のほぼ全域で、様々な政治勢力や軍事組織が、泥沼の戦いを繰り広げていた。ご関心のある方は、世界史の教科書や書籍、ネットの解説記事などをご覧になって欲しいが、それでも全体像を把握するのは難しい。あまりにも状況が複雑で、多くの出来事が起きたからだ。
第二次大戦中の状況がかくもわかりにくい要因としては、次の理由が挙げられると思う。
各民族間の対立が起きただけでなく、それまで存在していた国家の中でも複数の政治勢力/軍事勢力が乱立/分裂/対立したこと。
戦火を交えた部隊の多くが、ゲリラのような組織になっていたこと。
戦況の変化に応じて、敵対する勢力と手を結ぶケースも多々あったこと
多くの民族が入り乱れていたために、軍事境界線や民族の境界線が明確ではなかったこと(これは1990年代に勃発したユーゴ紛争で、「民族浄化」と呼ばれる、地域単位での集団大量虐殺を招く一因となった)
ナチスドイツやイタリアなどの枢軸国、イギリスをはじめとする連合国、さらにはソ連などの共産主義勢力が加わったこと。
■内戦の如き、祖国解放戦争
基本的にユーゴにおける第二次大戦は、ナチスドイツやイタリアなどの枢軸国を撃退し、祖国を解放するための戦いだった。
ところが各民族は、枢軸国を排除するだけでなく、自らの自主独立や建国、かつて奪われた領土を奪回するための戦いも繰り広げた。しかも敵対する民族を拷問したり、虐殺したりするケースも多発した結果、一種の内戦のような状況にさえなった。
たしかに第二次大戦の終結と共に、バルカン半島に平和は訪れた。だが「世界の火薬庫」と命名された危うい構造、様々な民族が混在し、血で血で洗う「正義なき戦い」を繰り広げるような傾向は、一掃されたわけではない。むしろ積年の激しい憎悪と敵意は、一時的に棚上げされただけで、そのまま戦後にも引き継がれていったのである。
(文中敬称略)
(写真撮影/スライド作成:著者)