中尾彰裁判長の「バカの壁」
自分の考えていることが「思い込み」や「思い違い」であっても、それにしがみつき、それが壁となって、物事の本質を受け入れることができない。養老孟司さんはそれを「バカの壁」と名づけた。
11月25日に大阪地裁で森友学園公文書改竄(ざん)裁判の判決があった。赤木俊夫さん(享年54)は、森友学園に関する公文書の改竄を強要され、それを苦に自殺した。妻・雅子さんは、改竄を主導したとされる当時の財務省理財局長・佐川宣寿氏に損害賠償を求めて裁判を起こした。
注目された判決だが、大阪地裁の中尾彰裁判長は、原告の請求を棄却したのである。
「職務中の行為に関する賠償責任は国が負い、公務員個人は責任を負わない」という判例に基づいて、「賠償責任を負わない以上、元局長が道義上はともかくとして説明をしたり謝罪をしたりすべき法的義務が発生するとは考えられない」というのが棄却の理由だ。
ではなぜ、中尾裁判長は「道義上はともかくとして」という断りを入れたのか。佐川氏の改竄指示が「道義上」許されないことは、中尾裁判長も認めているからだ。にもかかわらず、「道義」を棚上げにして、判例にこだわり「法的義務」はないとしたのである。
道義上許されないと知りながら、判例にしがみつく。そもそも、判例がどうであれ、公文書の改竄が「公務員の職務」であろうはずがないし、あってはならないことだ。だが、なぜか、そのことに触れようともしない。まさに「バカの壁」である。
厄介なのは、この裁判官の場合は、同じ「バカ」でも「法律バカ」であることだ。法文や判例を踏襲することが裁判官の使命という思い込みが、壁をいっそう強固なものにしている。だが、それが「バカの壁」であることに変わりはない。
今回の判決は、法に関わる者が無自覚に築いてしまう「バカの壁」の典型といえるだろう。「法」は本来「道義」を守るためにある。判例や法文はその積み重ねの結果であり、「道義」によって常に修正されるべきものである。だが、既存の法文や判例を絶対視するあまり、「道義」から外れても、それに気づかない。
中尾裁判長は、自ら築いた「バカの壁」に視界を遮(さえぎ)られて、事の「本質」を見失っている。原告の赤木雅子さんが控訴したのは当然だろう。控訴審では、この「バカの壁」が打ち破られることを願いたい。
報道特集 2022年11月26日
https://www.youtube.com/watch?v=FWF-5DFsycw
NHK NEWS WEB
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20221125/2000068526.html?fbclid=IwAR3nmk7sAdFVxUXibAe7czQMRvkKFEFoJ0Ro8NfbP88Ddxw7uwfDvD_XZtE
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