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もの食う人びと/食とまなびのブログ

辺見庸氏の“もの食う人びと”を読んだ。
強烈だった。
読書感想文が小学生の頃から嫌いだったのに、なぜかこの本を読み終わった今、感想を記しておきたくなった。

素晴らしい文章の感想が私の駄文では到底うまく言い表すことは出来ないことは分かっているが、そもそもこのブログを書き始めた目的は、娘と息子に向けたものだから、恥を捨て駄文をそのままに記すことを良しとしたいと思う。

本の内容は、世界中の戦争、飢餓、貧困、悲しみ、苦しみに満ちている。
がしかし、私が感じたのは戦争や貧困などの壮大な社会問題に対しての憤りや問題意識ではなく、ただ単純に、“なんて美しいのだろう”というものだった。

この本は辺見庸氏が世界中に赴き書いたルポタージュである。
書かれている悲しみや苦しみはフィクションではない。
そんな内容を読んでいるにもかかわらず、私の感想は“美しい”という。
客観的に考えると私の頭は少しおかしいのではないかと思う。
それでも私の心は美しいと言っている。

それはなぜなのだろう。
その不条理さがこの感想を書こうと思った理由かもしれない。

文章自体が美しい。
特に情景描写や何気ないやり取りなどが頭の中に鮮明に映像を映し出していく。
夜間飛行や草の立琴のような美しい表現。
老人と海のような朴訥としたテンポ。
素晴らしい文章。

また、私の美意識と本の内容が一致したのも間違いないだろう。
私は何気ない日常が一番美しいと思う。
マグカップをテーブルに優しく置く“コトン”という音が美しいと感じるのだ。

この文章の中では、人が生きて、食って、死んでいく(死にかけている)。
それ自体が美しい。
意味なんてないし、そもそも必要ない。
何かを成し遂げたり成果をあげる必要もない。
ただ存在しているだけで美しいし、存在だけで価値があると思う。

そして、何かに怒り、悲しみ、絶望し、未来が真っ暗にしか見えなかったとしても、まさにその瞬間、顔を上げると山の緑や空や花は変わらず美しい。
この瞬間のその景色はなんとも美しい。
そして食べる。
それを辺見庸さんの文章が上手に描き出している。

世界中、どんな状況にあろうと人は何かを食べている。
食べることは生きることであり、一緒に食べることは一緒に生きることでもある。
同じ釜の飯を食うとはよく言ったものだ。
世界各地のさまざまな状況にある人達や社会をあくまで食という観点から切り取る。その視点を崩していないところがこの本の秀逸さの一つなのだろう。

そう、この本には、視覚と聴覚だけでなく、味覚イメージ、嗅覚イメージがふんだんに存在しているのだ。

やっぱりこの本はなんとも美しい。
鳥肌が立つほど。
私の感想はやはりそうなる。

しかしまぁ、やはりうまく言えないなぁ(笑)
小学生の頃、全く納得のいかない読書感想文しか書けなかった、あの当時のまま。
私の文章力は向上していないのだろう。

私の中では、生涯読み返すであろう本である。

この本に出合ったことに感謝します。

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工藤昌幸
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