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自分の痛みで他人の痛みを知る
よく事のわかった人がテレビなどマスコミで、「他人の痛みをわかる人間になろう。」と言っていた。
実際のところ、それは無理、わかったつもりでも、絶対わからない。
目の見えない人の気持ち、不安が健常者にわかるだろうか、その他痛みや苦しみなどの障害は多岐にわたり、とても理解や同感できるものではない。できたとしても、それを本心から同じ気持ちには、なれない。
いま私は、腰痛になった。
ただ起き上がるときに激痛が走る。トイレに行くことさえ、儘にならず、ひとつ一つ、一挙手一投足が必死の思いである。障害や痛みのある方々、それは同様であろう。
それを口先だけで「痛み」をわかろうなどと、言うも烏滸がましい。
転じて、
腰痛に苦しむ自分、他人が何らかの苦しみに喘いでいること、心静かに応援しよう。ほとんどの人びとは普通である、困っている人をあざ笑う人もいるだろう。
たとえば、煙草の吸殻を路上に捨てる人、たかが煙草の吸殻、ほっとけば、風でどこかへ飛んでいくと思うのだろう。その煙草の吸殻に残った火で火事が発生するかもしれない、汚れた吸い殻で病気の素になるかもしれない、同じことである。
自分の痛み、他人には理解できない。ただ他人も自分と同様に痛みに苦しんでいることを認識したいものだ。
年末年始で病院や整骨院、整体院はお休み。どこか開いていないか、どこにあるのかを探すと、近々の場所でいろいろあった。おそらく多数の人が、腰痛や筋肉痛などの悩んでいるのであろう。
経費も高いようだ。
治れば安いもの。
藁にも縋る思いの日々
明日がんばろう。