
ハンコ、最近、押すことない、忘れてしまう
リタイアして、もう何年も経ってしまった。
現役から定年退職、再任用(再雇用)、最就職、アルバイト、その後、地域デビューして、いまは完全無職の年金生活者、70歳と27日、間もなく1か月近くになる。
葉梨法務大臣が失言、「死刑にハンコを押すぐらいが仕事」、失言や暴言で多くの政治家が更迭や辞職、いいたい放題、人権意識欠如いろいろ意見はあるだろう。そういう国柄なのだ。元総理大臣が狙撃され亡くなっても、犯人を擁護したり、国葬反対と喚く国になり果ててしまったから哀しい、哀れを催す。
どんな人であれ、葬儀の列があれば、頭を下げて、いつか自分も死ぬ、そういう国だったと親から聞いていた。いまは違う。
さて、ハンコ。最近、滅多に遣わない。宅急便や書留の受領印でさえ、サイン・署名でもよくなっている。無職の身では、まったく不要である。
仕事場面での責任や顛末を明示するハンコや署名、なにか事故のあった時、必要不可欠ではあった。
死刑執行指揮書にハンコを押す、重大犯罪者とはいえ、人ひとりの生命を国家権力で処断すること、法務大臣がハンコを押す、認める手続き、それはそうだろうと思う。
普通の身体拘束、懲役や禁錮あるいは労役、過料などは、検察官が行政組織内での担当者として事務的にハンコを押す。しかし、生命を奪う死刑、重大だ。いっぱい山のように書類が作られていると思う。
半面、地方の家庭裁判所が重大な少年事件の関係文書を、あっさり廃棄し、それが公表されたとき、最高裁判所は、全然、問題視しなかったようだ。社会が大騒ぎして始めて、調査すると決定した。これでは、あまりのこと、放言大臣と断捨離家庭裁判所、どこもかしこもでたらめ、あの角川書店会長が金儲けのためには、何でもあり、あきれるほかない。
ハンコ押すだけと言って平然、そして批難されると、撤回。
なんか変。
それでいいのか、日本。
総理大臣変えたらよくなる、なんてもんじゃない。
また、このように、ハンコのことで、偉い人をどうのこうの言うのも、変かもしれない。
いまの時代、なんか変だ、おかしい。
それでも、我々は、生きていかなければいけない。
最近、テレビを観るのが嫌になった。
元プロ野球の村田兆治投手が火災で亡くなっている、火災の状況から、普通でないような気がする。なんか変、ただの事故ではあるまい。