鎮守の杜から空を見上げる
世上では、コロナ、酷暑、メディアでは、統一教会、他にもいろいろ外部からの情報がある。現役時代なら、全然、意にも介さないことばかり。どうしようもないことだし、関係なかったり、ストレートに言うと、バカらしい。
もちろん仕事に影響のある場合もある。それはそれなりに組織的対応、いまの時代の現役諸子も、それで動いているのだろうと思う。
コロナの陰性証明ないと仕事できないなんてこともあるかもしれない。
暑いのはしょうがない。昔は、官庁街で、周りの官庁は、ほとんどエアコン、私の勤める役所は、エアコンなんてない。末端だし。大阪では、伊丹空港めざして降下する海外航空機が頭上真上を通った。航空機会社のマークを覚えてしまいそうだった。あほらしい。
それに比べると、毎朝、お参りする神社の樹々の間から見る空、至って平和、晴れようが、曇ろうが、雨が降ろうが、風が吹こうが、似たようなもの。それはそれで日々変わる。
雨の日もあれば、晴れる日もある。我々の機嫌と同じだ。
いちいち気にしない。夫婦や親子みたいなもの。
今日は機嫌がいい、とか悪いとか。
お互い気をつけあって生活している。
こんな日々がいつまで続くのか。
人生って、こんなもの。
出世しようが、しまいが、結局は、御仕舞いが来る。
昨日、NHK大河ドラマの一シーン、『鎌倉殿の十三人』の一人三浦義澄が高齢で病床にあり、まもなく臨終というとき、
息子から、「三浦の後のことは、おまかせ、われわれがやります。』等と
「死んだら、後のことはどうでもいい。」
御家人仲間の北条時政が見舞いに来ると、
「一緒に死のう。」、時政は、「いやだ。」と。
そして、義澄は、こと切れる。
それで御仕舞い。
自分の場合は、どうなるかな。
両親や義父の死に様、永らく植物人間状態が3~7年続き、
病状の悪化や推移、お別れの言葉、号泣なども全然なく、
ひたすら、胃ろうとか経管給養とか医療的措置ばかりに数年、
そして死者への哀悼もないに等しい、
死ぬと、病院から追い立てられ、葬儀社へバトンタッチ。
葬儀を形ばかりやって、また、ここで御仕舞い。
いまの日本いけないね、なんか。情も愛もない。
お経も、ただただ、お経。ありがたくもなんともない。
仏教は、本来、葬式のためじゃないらしいけど、葬式がなくなったら、いまの日本の仏教は成り立っていかない。
マスコミが、統一教会で騒いでいる。まだ、高額な寄付するぐらい、有難られている宗教の方が、葬式や法事で、お金、包まして、戒名で何十万円儲けている宗教より、ずっといいんじゃない。
そして宗教は、憲法で、守られているから、政治家も強く出る。
そんなもんだ、わかるだろう。君たちって。
ロシア正教のトップ、プーチン支持、殺せ殺せ、もっともっと殺せって。
そんなことありか。
日本だって同じ。いま日本で、尊敬されている仏教徒のトップって誰?
私、仏教に疎いので。