吝嗇・けちと計画性・堅実性と
私は、転勤族。生まれは四国香川。青春の蹉跌もあって、故郷に住みたくないと思った。出直しするには、家族・親類、知人・友人のいない土地で、一からやり直しのがベストと思った。確実で安定した公務員となって、各地を転々とした。反省は、転校を繰り返させた娘たちには申し訳ないと思う。結構、慣れっこにには見えたが、散々苦労させた。
名前を出して恐縮だが、転勤の成果のひとつに、徳島で身に着けた節約、お金の遣い方の合理性、それまでは無駄遣いが多かった。それも、なんの考えもまして反省、工夫も、貯金もなかった。3年いて、お金は大事に遣い、できれば残す、有効に計画的に遣う。そうした精神を身に着けることができた。地政学的?には、険しい山と大きな川に囲まれて、橋や治水にお金がかかる、とても道路まで手が回らないと。高速道路や海を渡す大橋も、いまはあるが、なかなかできず、いまでも、かなり空いているいるのが現実だ。下の道も、空いているから、わざわざお金を払ってまで、ということか。
倹約、頭と気を使って、少しでもお金を遣わない。「もったいない。」、お金を遣って、社会を活性化する資本主義の論理とは逆行するのは理解している。頭を働かせ、身体を使い、気力を充実させる。素晴らしい県民性である。
いま私は年金生活者、ここにいたるまで、単身赴任も9年経験した。なんでも自分でやる。簡単な修理、自炊、掃除・洗濯はもちろん、修行生活に近い形で倹約する。その貯めたお金、いまは、私のポケット・マネーとして活用している。株式投資、カメラや書籍の趣味、旅行費用などに充てる。
基本は、金と物を大事にする気持ちを徳島で学んだ。人生は、金じゃない、いかに愉しく、面白おかしく生きるかというご意見もあろう。
自分を生かすには、安定した生活、落ち着いた生き方、それが大事だ。その基本に、自分自身を大切にする、自分のために自分を励まし、管理することが必要、自分はもう一人の存在、共存共栄なのだ。
とはいうものの、私の転勤生活は、兵庫5年、大阪8年、京都5年で、京阪神の地域手当が着く地域、地域手当のつかない徳島、その土地、その住民の地域性に合わせた生き方がすべて。どこへ行っても、あすこはいい、ここはだめなんて考え方は絶対にしない。「人間、至る処に青山あり、骨を埋むるに 豈に墳ち墓の地のみならんや。」である。
徳島の鮎喰川で、四女と一緒に鮎を採ろうとしたのが懐かしい。採れなかったけど。あれから23年が経つ。いろいろ学んだ。徳島よ、ありがとう。