雀の骸に想う
午後も遅掛け、ちょっと外へ出たとき、玄関先に置いていたバケツ、多目的な溜め水、なにかある!よく見ると一羽の雀、その骸が浮いている。なんで、なんでこんなところに。
今朝も寒かった。薄氷が張っていた。寒さに弱った雀が、末期の水を飲みにバケツにとまり、そのまま永眠したものと解釈した。奥様を呼び、「こんなこともあるものだ。」なんていいながら、自宅の庭先、植えた紫陽花と夾竹桃の間の土に埋葬した。
まだ雀だからいい。蛇やトカゲ、やもりならどうするだろうか、なんて考えながら、それなりに菩提を弔った。明日は、わが身か。なんて。
数年前、四国遍路、険しい山を喘ぎ喘ぎ、登ったり降りたり、苦しかった。死ぬとかのレベルではなかった、その後しばらくして99歳で死んだ伯父が、インパール作戦で命からがらの退却行、それを想いだすと、なんのこれしきと、再度立ち上がったこと、何度あったか。
今がある。四国遍路は、「遍路転がし」というが、生き死にの危険は少ない。ないとは言えないという程度。
ともあれ、時間が過ぎると、そのままミイラ化させるのも不憫、やはり埋葬するより、しかるべき方法で葬ろうと変更した。
今更、考えると、死骸を見つけた誰かが玄関先のバケツに放り込んだのかもしれない、あくまでも邪推。思いは、様々に迷走する。
それで十分。人であれ、雀であれ、何であれ、いつかは死ぬ。数時間で死後硬直し、ミイラ化していく。明日に紅顔、夕べに白骨、それを敢えて感じてしまった。
一羽の雀、昨日まで元気に空を飛んでいた。今日、冷たい水に骸となって浮かぶ。
明日は何があるかわからない。充実した一日でありますように祈るだけ。
悪いことがあったとしても、それはそれなりにいではないか。いままでがんばって生きてきた。反省も後悔もなしにしよう。それでいいじゃないか。