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渡辺淳一先生のご本「白き旅立ち」感想

 昨日に引き続いて、読後感想。しかも、同じ渡辺淳一先生、このごろ、なんとなく、敬称略ではなく、「先生」とつけたくなる気分である。
 今日は、同じ渡辺淳一全集第2巻に収蔵されている「白き旅立ち」のなかの「白露」、要は、解剖である。
 女性として最初の本人希望による解剖は、所謂遊女美幾(みき)だった。それから、この文章は始まる。小説とはいいがたいような、随想か随筆のような文章、淡々と、医者であり、また冷静な観察者というところか、内容や雰囲気は、医療の門外漢であるものの、生きた人間である私にも、粛々として伝わってきた。これが、精緻なルポルタジューというべきだろう。
 安易にイデオロギーや正義感、常識や良心だと拳を振り回す感じではなく、専門家的知見を出しながら、なおかつ人間相手としての優しさも感じる。
 前日の遊女の本人意思による解剖とあわせて、医科大学で学んだ教授の解剖にも立ち会い、実際の解剖の有り様と尊敬していた教授の面影、そして内臓の病気、それも癌を実際に解剖する現実、これらも淡々として描かれている。単に参考としてではない、ありのままの現実として。
 死は、みないつか訪れる。100パーセント。
 医者であって小説家として著名な人は多い。この渡辺先生は筆頭格だろう。古くは森鴎外などもいる、しかし、明治という、そんなに大昔でもないのに、もう用語は古く硬い、まだ源氏物語や平家物語のほうが、単語は古くても身近に感じてしまう。
 最近、この渡辺先生の著作に凝ってしまった。図書館の方だけに、多くの人が読んでいる。本は、栞紐は捩れ、途中で切れ、紙のページは背表紙の糊が取れてバラバラになる一歩手前だ、大事に大事に読んでいる。
 ベストセラーなんだろう、きっと。
 

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