見出し画像

私が株式投資を続けるわけ

 私は、エッセンシャルな公務員。国会中継で出るような、いわゆる官僚ではない。無くてはならない、無くなると国民が不安と恐怖に陥るような、しかし重要視されない仕事である。個人的には、もっと収入が多くて、身体的、精神的に楽ないい?には就けなかったかと自問自答すること多々であった。でも後悔はしていない。十分自己実現もできた、家族も養えた、いろいろ勉強や研鑽を積ませてもらった。ありがたいと思っている。こうして年金生活を呑気に暮らせるのも、40年近くの苦しい厳しい職業生活があったからだと思う。

 添付した写真、以前は、隣家との間の狭い庭、陽は当たるが、ほんのひととき。地味もよくない。私だけが見回る日陰の花だった、ある日、ふっと偶には陽当たりのいい場所へと移した。すると喜んだのか、それまで小さな花しか咲かせなかったのに、いまは数も十倍、色も明るく咲いてくれた。花も嬉しかったのか、せっかく花と咲いたのに、観る者も少なく、寒い暗い場所で咲いて終わりが、一転華々しく咲いた。

 ちなみに、桜が散って、チューリップも終わり。その後釜って感じだった。

 さて閑話休題、昔、他人にも話したことがあるが、私が数式投資を具体的に実行し始めたのは、公務員生活に飽きが来て、定年後再任用を途中でやめて、大学職員(非正規)になったのが端緒。学務課というところで、誰も見ない日経新聞、上司の許可を得て、休憩時間に読んだのが始まり、一般的には、株式投資の初歩は知っていた。詳細は全然だった。ある日、日経平均は2万円を切ったと報道、なにそれ?と思いながらも平然。それでポケットマネーから株を買った。退職後、自宅になぜか証券会社から電話、それが株式投資の始まり、もう5年経つ、まだ継続している。

 100万円近く含み損があったものの、昨今の経済情勢の変化、いろいろ理由はあるが、経験と知識、極めつけは、運そのもの。配当や優待を考慮に入れれば、大成功!

 それだけのこと。しかし、一番ためになったのは、社会や経済への関心が自分の脳や心に深く根差したこと。これが一番の収穫である。みんな必死で生きている。いまのコロナ、オリンピック、米中摩擦、すべてが経済に表れている。それが日々感じられる。日本人は、金なんて、政治家の石原さんが。「結局、金目でしょう。」と発言して顰蹙をかった。でも、それが本当だろう。金は、なんにでも使える。河井元法務大臣、自分の選挙より妻の選挙、なにがなんでも勝ちたかったのだろう、それはそうだ。妻は泣かしたくない。男としては、そうあらねばならない。むしろ選挙で賄賂を受け取った側の者を起訴せず、捜査した検察に問題があろう。政治家に職を失った検事総長は検察庁への国民の信頼を失わせた、私怨を晴らすのに、公権力・検察の権力を使ったのが見苦しい。多くの検察官はどうなんだろう。国民に代わって起訴する権限を持って入る。そんな検事総長、どこか天下りしてのうのうとしているのだろう。落ちたものだ。

 金を考えることは、人間を考えること。いい勉強。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?