ただ捨てられてたまるか!
忘れた。梅か柿か、それとも何か他のものか、そのときは真剣に、ひょっとしたら樹になって、身がなるかもと思った。いつのまにかに、芽が出て、大きくなっている。温度が下がっても、がんばって存在をアッピールしている。こうありたいものだ。ど根性でいきたいものだ。
我々、一兵卒からの叩き上げ。ほとんどはそうである。天皇家や大名・公家と言ったところで、所詮、どこまでほんとやらわからない。まして源氏物語でも、実際は、訳のわからない、犬や猫も驚く社会、やんごとなき方々も、どこまで純系かわからない、どうってことない。ただ流れるままに。
しかし、生まれたとき、その場所で、その環境で、どう生き抜くか、金も力もない、教育も躾もない、一般庶民であった場合、能力があっても、それを育てる気も環境もないことは多々ある。そして、周囲は、芽が出たら潰しにかかるのが常。哀しいさがなのだ。
いろいろないじめや弾圧、なんとか生き抜いて、組織に入っても、ここでも上、横、下からの潰し。いろいろな関係の同期、どんなに途中で消えていったことか。病気や負傷、家庭の事情など多々ある閉塞的状況、あれはうつ、あれはがん、あれは脳梗塞、そんな話をいやになるほど聞いた。69歳の今日、よく無事でいられたと思う。
また、離婚、不倫などは、面白がって噂になる、羨ましいか、新しい妻は、どろどろな人生。いやだいやだ、そんなのは。と、持てない男は、そう思う。他人の恋は不倫で非道徳的な反社会的行動、自分の恋はロマンス。人間は身勝手なものだ。下半身は人格がないとか言って。
その渋沢栄一もかなり艶福家、NHKJは、サラッと流すだけ。
気が付けば、あの人たちは、その後どうしているのかと思うばかり。
人生、振り返れば、冷たい風が吹いている。寒い、気温以下。