人生での仕事の意味、いまさら考える
仕事といえば、食っていくこと。家族を養う、一人の男として、仕事をしなけrばならないと、親や世間に、それとなく、なんとなく教え込まれてきた。そういう親、特に、父親は、これといった定職もなく、転職を繰り返し、母親は、今で言うパート程度、午後、数時間、知り合いのところで事務員、それでは貧乏はやむを得ない。
汚い倉庫を少し改造した家で、4畳半と2畳で一家四人住んでいた。まともに、父親が大企業、放送局で末端であっても定職に就き働き出してから、やっと普通に暮らせるようになった。
冬でも半ズボン、お菓子など遠足以外、食べたこともないので、虫歯はなく、クラス一番だった。歯磨きもしないのに。
自分自身は、工業高校へ入り、就職するつもりだった。途中で考えが変わり、大学へ。合わず中退、引きこもり。3年ぐらいして、運送会社、いまでいう宅急便の運転手みたいなこと、一年、そしてエッセンシャルな公務員、故郷を出た。昇進試験を受けて、転勤十数回。その間に結婚、子もできた。
孫の顔を見せて、親に引きこもりの不孝の恩返し、親は大喜びで、孫娘にはるばる度々、会いに来た。せめてもの恩返し。
完全リタイアして、思うことには、
昇進合戦で、50歳で見極めがついた。組織は、冷酷無残、勝てない者には冷たい。この先、北海道から沖縄まで、単身赴任で定年案でなんてばからしいと思った。
降格もせず、そのままずっと、通した。
後輩に抜かれ、横並びに仕えるうっとおしさ。自ら選んだこと。
思い切り、愉しんだ。まず念願の海外旅行、定年になってからでは、遅い。韓国ソウル、イタリア、フランス・ドイツ・スイス・リヒテンシュタイン、そしてスペイン、最後に中国と、概ね希望の地は訪ねた。
単身生活ではあった。それなり有意義に、仕事も、慣れぬ場所や意外なポストも経験し、似たようなポストを18年かかって退官した。
いまとなっては、既定の路線より、給与体系・グレードが、ちょっとだけ落ちた程度。まぁ仕方ないか。変な人間関係を持たなくてよかったと思っている。上に上の、変な階層と付き合いがある。
辞めてしまえば、もう全然、関係ない。
上から目線なんてのも、もとよりない。
一介の市民として生きるのみ。
仏教でいう「林住期」を快適に生きさせてもらっている。
四国遍路3回・西国巡礼2回、直近の遍路と巡礼は、原則、歩きで、交通機関利用のものだ。それなりの感慨がある。
弘法大師のお蔭だ。
最期まで、元気に愉しもう。