COURTが生まれるまで③
2013年、carpetroomの更新が滞り、このままでは何も前に進めない、という悶々とした毎日の中で、やはり「ラグ」をつくりたい!という思いが強くなっていきました。もともと中川淳さんにコンサルに入ってもらう際、僕の方から「ラグブランドがつくりたい!」ということをお願いにいきました。ですが、「ラグ」と「敷込み」は根本的に流通も違うし、成し遂げたいことが異なります。
「ラグ」は、家具店などで売られるいわゆる「プロダクト」。
「敷込みカーペット」は、工務店などで採用される「建材」。
「プロダクト」か「建材」か、はまったくやらなければいけないことが変わります。そもそも僕は「敷込みカーペットを広げていきたい」という思いがあったので、当初の方向としては、「敷込みカーペット啓蒙活動ブランド」にいきついていきましたが、どうしても「啓蒙」ではやりきれなかった。もう一度「ラグ」にチャレンジしたい、と強く思うようになりました。
ラグブランドの構想
「ラグブランドがやりたい!」と思っている中で、SNSを通じてお知り合いになったデザイナーさんから連絡をいただき、デザイナーが主催する展示会で「ラグ」を一緒につくりませんか?というお誘いをいただいた。僕にとっては、とてもとても嬉しく、展示会だけのためのラグではなく、「ラグブランドとしてつくっていきたい!」ということをお伝えして、ものづくりをやっていくことになりました。
デザイナーとのものづくりは、僕としては初めての経験で、とても楽しく、面白いものができ、展示会に一緒に出展もさせていただきました。
なのですが、僕はこのタイミングで商品化に踏み切ることができず、一緒に開発をしていたデザイナーには、プロジェクトを止めたい、と申し入れ、ちゃんとご説明もできないままに商品化することを諦めました。
商品化できなかった理由と反省
「流通」を考えていなかった
「どう売るのか?」ということが、最後まで自分の中で組み立てることができませんでした。今ではCOURTをインテリアライフスタイル展に出展したり、様々な切り口でどうやって売るのか?について知恵が絞れるようになりましたが、当時はコントラクトビジネスだけしか知らず、そもそも掛け率は?どこがどんな商売をしているのか?などリサーチもまったく足りず、売れるイメージをまったくつくることができませんでした。
「ブランド」ではなく「商品」をつくった
これも今となっては、よくわかるようになりましたが、当時はプロダクトブランドのつくりかた、というのがまったくイメージできていませんでした。ブランドの目指すべきこと、商品政策、コミュニケーション、すべてにおいて建付けができておらず、単純に商品づくりを進めてしまっていました。
「覚悟」のなさ
これがもっとも致命的でした。carpetroomをやりきることができず、次にラグをやろうとしたときに、そもそも全く覚悟が足りていませんでした。「ブランド」をつくる、ということは、当たり前ですがそれなりに投資も必要で、ブランドを立ち上げ、維持発展させていくためには、もちろん様々なところでお金もかかります。これに対して、僕はまったく覚悟が足りていませんでした。とにかく現状をなんとかしたい、それだけしかなかったし、一度挫折してしまっていたので、より腰が引けてしまいました。
デザイナーへのオーダーをはっきりする
このときに関わってくれたデザイナーには、今でも申し訳なく思っています。心にへんな棘がささったままです。当時、デザイナーに対して、フィーについて何のコミットメントもすることなく進めてしまいました。もちろんフィーだけの問題ではなく、そもそもの進め方終わり方に問題がありました。ですが、僕ははじめにきちんとフィーの話をすることで、自分自身の覚悟の決まり方がかわったと思うし、デザイナーへのお願いの仕方もかわったと思います。外部の方となにか進めていくときには、しっかり自分の中でオーダーをはっきりさせておくべきです。
何がOKで、何がNGなのか?そもそもこの基準すらしめすことができず、当時はそもそもそれを説明することもできなかったのです。
COURTが生まれるまでには、まだ数年を要することになります。
次回は、現在COURTのアートディレクターをお願いしているドロワーの池田さんとの出会いと、いよいよはじまるラグブランドCOURTのはじまりの話を書きたいと思います。