COURTのはじまり①
ここからは、ようやくCOURTがどんな風に始まっていったのか、についてご紹介していきたいと思います。2011年に「ブランディングだ!」と思い様々なことをやってきましたが、なかなかうまく行かず悶々とする中で、2014年初夏、現在のCOURTアートディレクターであるドロワーの池田さんとの出会いがありました。
池田さんとの出会い
失敗しても失敗しても、やっぱり「ラグブランドがやりたい!」。「プロダクト」という「敷込み」よりも手の届きやすいもので、「カーペットの暮らしを伝えるきっかけをつくりたい」。そんな思いをずっと持ちながら、COURTができるまで②でも書いたように、大日本市に毎回顔を出し、プロダクトブランドの先輩たちのことをずっと勉強していました。勉強というとかっこよく聞こえますが、羨ましく思いながら眺めていました。
そんなとき、marcomondeという靴下のブランドのことを教えてもらいました。marcomondeは、広告やブランディングを手掛けるドロワー株式会社が自社ブランドとして展開している、靴下の単品ブランドで、当時TOMORROWLANDとのコラボレーションをしたりしている、いわゆるおしゃれ靴下ブランドです。
ラグブランドをやるなら、marcomondeと組めばいいんじゃない?!と言ってもらったことがきっかけで、友人のデザイナーを介して池田さんとお会いできることになりました。
僕は当時、焦っていました。2011年にブランディングだ!といってコンサルに入ってもらい、その後目に見える成果を何も上げられていない。当時僕はまだ社長ではなく、いわゆる後継者専務というポジションでした。社員から、特に文句が出たりしていたわけではありませんが、それがより一層僕に焦りを生んでいました。なんとか早く目に見える形の成果が出したい。そんな状況での池田さんとの出会いでした。
以前の失敗をちゃんと活かさなければ、という思いもあって、おそらく実際に依頼するまでに5回くらいは一緒に御飯を食べに行ったと思います。僕たちの会社はどんな会社で、何を目指し、どんなことがしたいのか?そこにいきつく解がまだわからないこと、でもラグがやりたいこと。本当に他愛もない話もありましたが、相当長いこと話を聞いてもらったと思います。今となっては、「あのとき迷惑でしたよね?」と気軽に聞けますが、当時は必死でした。
5回目に池田さんと話をしている中で、池田さんから「一度ブランド全体感を提案してみましょうか?」と言っていただきました。それはそれは嬉しく、「ぜひお願いします!」といいましたが、このときもまだ「覚悟」が決まりきらず、「そのご提案を見てから契約でもいいですか?」とお聞きし、それをゆるしてくれたことは、感謝しかありません。
COURTの誕生?!
当時池田さんには、以下のようなオーダーを出していました。
・立ち上げのタイミングで3年間くらいの商品政策を予めつくりたい。
・ウィルトン(弊社の織機)だけではコレクションとして成立しないので協力工場でのハンドタフテッドも取り入れながら進めたい。
・敷込みカーペットのきっかけになるようなことをしていきたい
こんなオーダーに対して、池田さんはプレゼンテーションをしてくれた。全部はお見せできないのですが、ざっとこんな感じです。
今のCOURTのトーンをご存知の方は、「えっ?!」と思われるかもしれませんが、一番最初は、こんな感じで始まりました。
僕のオーダーは、上に書いてあるとおり、「商品政策をきちんと組み立てたい」、「ハンドタフテッドの技術を盛り込みたい」、「敷込みカーペットのきっかけになりたい」。
僕のオーダーにはしっかり答えてくれたプレゼンでした。このタイミングでは、池田さんも、まだまだ詰めていくべきことはあるけど、というプレゼンの前のプレゼンという位置づけだったと思いますが、僕にとってこのプレゼンは、「プロダクトブランド」ということをはじめて少し体感できた気がしました。
ようやく覚悟を決めて、池田さんにアートディレクターになってもらうことをお願いし、いよいよ本格的にラグブランドを開発していくことになります。
池田さんとの出会いは、2011年今でも僕の師匠である中川淳さんとともに、堀田カーペットのブランディングを進めて行く上で、大きなきっかけをつくってくれた大切な人です。
このプレゼンの時期が、2014年夏のことです。COURTのローンチまでまだ2年ほどかかることになりますが、ローンチまでの2年間のことはまた次の記事でご紹介したいと思います。
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