「網戸の修理」と「石焼き芋」のその後
父母の家の隣に僕の家はある。年老いた親にとってはとても嬉しいことだだったろう。しかし、子供にとっては辛いことでもある。親はいつまでも子供を子供と思う。
noteを見ていると「毒親ネタ」が多い。
読んでいると自分が親の側から見ている年齢であることに気がつく。
悪いことではない。親離れできた証拠だ。
運転が止められ、免許を返上する。今まで生活の中に運転があったものが突然消える。歩いていける範囲が自分の生活の範囲となる。やがて歩くこともおぼつかなくなる。あたかも食物連鎖から切り離されるがごときである。
渡り鳥は、食物を追い山海を超える。超えられない時は死ぬのである。
動物全体に共通する「律」である。
誰かがそばにいてくれるというのは便利である。母の補聴器のメンテナンスに毎週一回は送り迎えをさせられたものだ(笑)。料理を作ることもできなくなり、米を炊いても炊飯器から溢れるようになる。瓶詰めの海苔の佃煮しかおかずが無くなる。鍋を炭にする。
2014年位から僕の生活と父母の生活は一つのものとなった。最後の一年は僕の料理を美味しいと言ってくれていた。いつも思い出すと泣きそうになる。
家が事務所にしてのソフトの開発だったから出来たことである。
僕は20年前から自営業である。幾度も破綻しそうになり、父母に助けてもらった。会社の資本にも参加してもらった。ソフトの仕事は毎日が勉強である。自分で営業してお客さんを探す。土日だろうが休むことはなかった。
なんとか返さねばと思いながら頑張った。
しかし、ある時に気がついた。「年をとったら金など何の意味もない」という事を。預かった金などは「生んでもらった事、育ててもらった事」に比べれば僅かなものである。金では買えないものだ。売れもしないが.....…。
父母が年取った時に傍にいることが出来た。
終の棲家での人生の終わりを共に過ごせたことは幸運であった。
そんな事を考えながら母の庭を見に行く。
向こうに行けばまた会える。何を話そうや。
先日、実家の網戸の修繕をした。網戸は張替えが面倒である。もう住む人もいないが「放っておいても良い」とは思えない。
網戸は消耗品なのだ。網戸の交換を業者の人に頼めば訪問費も入れて、1〜数万円はかかる(僕ならそのくらいもらいたい)?
網戸の修理業界に激震を走らせるメソッドの発明である。
このお話の続きです。
焼き芋の遠赤外線焼き用の石が来たのでキャセロールで焼いている。結論から言うと、ダッチオーブンを買ってガスの直火ででやっつけたほうが良いようである。デロンギではまろやかな加熱で今ひとつである(笑)。それも良いのであるが。
今は「銀杏」待ちである。サツマイモは天ぷらのほうが好まれるようである。それでもいつの間にか妻の胃の腑に収まっておる。
仕事で目が疲れると線香をあげる。
手捻りプラスチックの便利さはこちらからもご覧いただけます。
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。