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イタリア料理大好き:油といかに付き合うか?

1960年代にイタリアの食事傾向(オリーブ油の消費量)と心疾患を調査してアメリカに比べて心疾患が少ないという現象を見つけた(と思い込んだ)。
これは「地中海型食事のパラドックス」と言われている。日本の食生活も調査され「和食は体にいい」という愛国的な思い込みも生まれた。

しかし、最近では各国(アメリカ・イタリア・日本)のその差(心疾患の発生)はなくなっている。ガンを始めとする「病因のない症状」も変わらないだろう。「先進国」と言われる国々の状況はあまり変わりがない。

そもそも、医学は「エビデンス(根拠)」を必要だ。それは「疫学調査:実際の医療統計による疾患の傾向」と「食事調査:人が何を食べているのか」を結びつけるものである。科学的で正しいように見えるが、1つの指標しか調査項目と出来ない。2つ以上の指標(油と塩とか、「笑いながらの食事」と油)を相関させようとしても上手はいかない。『油の消費量』という指標を使って心疾患の発生率を「見た」らイタリア油の消費量が多くてアメリカが少ないという比較があり、しかし、心疾患はイタリアが少ないということが矛盾だったのだ。
『油の使用量=心疾患の原因』と言う「仮説」に従うから矛盾だったのだ。そこで、使われている油が特別なのではないかという仮説が上積みされる。オリーブオイルバンザイ主義の始まりである。僕も信じていた。
オメガ系のオイルは動物は身体の中で作れないから飲め飲めというが、そのオイルで作られた細胞は食事から食べている。細胞膜やコルステロール、サイトカインと言われる脂質は生命にとって大事な物質であり、わざわざ分離した油を買って使わなくとも昔の人はピンコロの人生を送っていた。
『素材を大事にしたプロセスによる「食事作り」』こそが重要なのだ。

『栄養素を分析すればすべてが分かる=還元主義』と言うドグマを壊さないための仮説の上積みである(笑)。
同時期には「米主体の食事をしていた日本」とアメリカを比較して和食が良いのだという妄信が広がる。まだ「代謝」という物の理解のない時代のことである。

「米(炭水化物)」は身体の内側で脂質に代謝される。脂質は脂肪細胞で蓄積されるか腸肝循環で排出される。糖質が直接脂肪細胞で代謝される場合もある。「体型」や「検査値」は環境に対する当たり前の適応でしかない。ヒトの身体は設計図に従って作られた「工場」の生産物ではない。
生きようとして環境に向かい合う「マイクロバイオーム」たちのダンスする場なのだ。「正常」も「異常」もありはしない。

脂質の体内循環の内に一般の細胞内でも「脂肪滴」として保管される。脂質は細胞膜を作るための大事な素材である。体内でどの様に「代謝(常温での生化学物資の変化)」されるかということが重要である。

社会の形を考慮に入れない食事調査など意味がない。

1960年代を考えれば、アメリカでは、既に家族というシェルターが崩壊した時代である。これを先進国という。

フォレスト・ガンプのシーンである。米国においても「社会の変化と家族の崩壊」は大きな災厄を生んでいたのだ。まんべんなく私達を殺す。

後進国であったイタリアも日本も「家族」というスキームが残っていた時代である。そのスキームがあったからこそ家庭では食事を作ることが出来たのだ。同じ遺伝形質のヒトのコミュニティで近く(輸送手段も保存手段もない時代である)の「採集農業漁業畜産の産物」を利用して食事が作られていた。そしてその食事の正当性は長い家族の歴史が裏付けていたのだ。
「家族というシェルター」は三世代の女性系が経験的で抑圧的なOJTで維持されていた。そして食事に文句は言えなかった。家族というのは「貪欲を戒める檻」でもあったのだ。
この時代の変化は開放でもあったのだ。表面的に見ればだが.......…。

サザエさんの時代からDINKsへの変化である。子供がいてもいずれ離れて親子ともに核家族となる。社会の拝金主義にヒトと言う壊れやすいナマモノが向き合わなければならない時代である。ヒトとして雇用されるのではなくサービスを提供して時給で朝から晩までハラスメントを受ける。そして遠くの誰かが冨を得るのだ。

この時代は「家庭=企業・農家・商店」という枠が破壊され、「サラリーマン」という階級が生まれた。給料は家族を維持、老後の生活をするために十分な金額があった。「年功序列と終身雇用、家族的経営」はヒトとして生きるために必要な利益分配であった。サザエさんの時代である。
核家族化は食事のアウトソーシングが必要になる。同時に何を食べたら良いのかという当たり前の「知恵」も失われた。
自然は空白を嫌う。医学や栄養学というインチキおじさんに妄想(誰にでも健康になる食事が有る)に求めるのだ。

オリーブオイルは特別な力を持っているわけではない。
和食も同じである。箸使って米食えば和食なわけではない。

センターキッチンや時間が来たら半額になる弁当は「生命:立体構造をいじしたタンパク・脂質、構図の中に微量ミネラルを持つ」をその工程の内に破壊する。「乾燥・濃縮・抽出」「バイキンも食べようしない腐らない食事」は私達を長く生かす。管だらけにして死ぬまで終わらない「治療」と「施設・病院、ICU」という「安心安全な箱」の中で財産を献上させる。

小さいミイラのようになって頑張ったねと褒めてもらえる。僕はまっぴらだ。


僕の解決

食事を素材から作らなくなったのが原因だと思っている。私たちのもう一つの問題は「依存」である(この話はまたいずれ)。

ピンコロの人生の終わりを迎えるために毎日食事を作る。
伝統に敬意を払い家族を想い、確固たる決意を持ち人生に向き合う。


輸入食材のお店で仕入れしたのだ。コーヒー豆が半額であった。

エスプレッソの豆は難しい。久しぶりに買ったブランドの豆はあまり嬉しくなかった。これはどうだろうか?楽しみである。
スパイスしたバラ肉をデロンギった。10分熱そて10分休ませてを繰り返す。
しっかりと油を食べる。分離された油には「生命:立体構造を維持したタンパク・脂質」が含まれていない。


クリームドリアを作ることにした。
ジックリ炒めて、小麦粉と牛乳でトロミを付ける。

バラ肉でミートソース作りパスタを一皿
バラ肉の油がしっかりと旨味を出す。
少しあちらのソースでアクセントを付ける。
一人前のパスタを合わせる。

市販のピザを焼くことにした。

トッピングを贅沢に使いガツンと喰らう。結局2枚作った。
ピザストーンごとテーブルに持っていく。
家族3人で一杯やった。後少し焼酎が残っておる。
明け方に足がつって目が覚めた。神様の甘噛である。僕の身体というコロニーに生きるマイクロバイオームは焼酎が気に入らないのだろう
マユのご飯を作る。
早くくれと言っておる。
数日前の残りを食べていただく。
3−4日分である。


アトカタが大事。
きれいに片付いた。
マユのご飯4日分

6時間後、今日は妻のパートなので天ぷらを作った。


料理作りは終わらない。
今では、食事作りが生活の真ん中にある。
楽しいことである。

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幸運な病のレシピ
厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。