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トイレがないことは恥ずかしくない、自分の文化を失うことこそ恥じるべき。

6億人がトイレのない生活をしているとwebでインドの後進を笑っている。僕はとても腹が立つ。水洗トイレという発明はさほど古いものではない。

トイレない事が恥ずかしいと思い、トイレを作り出したら........

次は水道や下水道が必要になり、ダムや建設資材を運ぶ道路が必要になる。先進国からはプラントを一気に輸出できる。代金は、地下資源や、合法的な奴隷として移民させて低賃金で働かせればいい。

今中国が世界各地でやっていることであるが、アメリカが進駐軍と行って日本で行い、イランを崩壊させて経済復興で金を儲けている。常に文化を破壊してその土地の人々から「人頭税=生活に必要なインフラの利用料」を集めることでコストのかかる「占領」が必要なくなったのだ(注)。

ちなみにニューズウイークの記事はいつも楽しい。あまりに一般的な常識を書いているのでネタになるのだ(注)。

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お前のためだと言いながら、自分たちの価値観を押し付け、商品を売りつける。「グローバリズムという『獣』」は世界を征服する。

多くの自分の文化を持っている人々を、後進的だとか未開だと言いながら自分たちの草刈場にするのだ。「原住民政策」一般に言える。それが自分たちの利益のためだという証拠は、その原住民の持っている土地に価値があるから、この政策は行われることを見ればわかる。

かといって、汲み取り便所は怖い。落ちたらどうしようと思う。もう後戻りができないということも現実だ。

しかし、こんな文明が長く続くとは思えない。

ウンコは汚くない

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「バナナと日本人」と言う本を思い出す

1980年代のグローバリズムの研究としてすばらしく面白い。大学の頃読んだ。今の僕の考えの基礎に成っている。

かつて、「フィリピン」は豊かな文化を持ち自給自足の社会であったという。それが、「バナナ」が日本で売れるということに気がついた彼らが、すべての農地をバナナの単一作物プランテーションに作り変えていく。

小さい農地は吸収され、土地を失った農民は小作人となる。小さな農地で自給自足の生活をしていたときには買えなかったテレビや冷蔵庫を手に入れて文化的な生活をする。

地主と小作人の関係が生まれ、自給自足はできなくなったので農園で働いて時給を貰う。スーパーでパン屋パスタにカップラーメンを買うようになる。年寄りと一緒に住んで介護することなどできなくなる。

やがて、バナナの仕入元(日本の商社)はフィリピンのバナナ生産者を価格競争に追いやる。

そして、低価格を余儀なくされた地主は、「自分の取り分」を下げないで時給で暮らす他の道がなくなった小作人の時給を下げえう。「仕事があるだけありがたいと思え」といいながら。日本の現実を見るようだね。

フィリピンでは裕福な地主と貧困層に分かれていく。社会の分断と格差の広がりはテロを生む。

イスラム教徒のテロが取りざたされる。僕は彼らとて、同じ人間だと思っている。誰も好き好んで人を殺したり(自分の命を燃やす)したいなどと思うことはない。死を覚悟した時の彼たちの目には何が映っているのだろうか。無論、テロ自身も「経済活動の一つだ」というのも分かる。それで儲けている連中もいるのだから。しかし、それだけで納得はできない。(注)

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ほんの数十年でこの変化は起こったのである。著者たちの研究グループは「エビと日本人」と言う著作でも同様に東安アジアでの「家=社会」の破壊を描いている。

グローーバリズムというのは、一見良いことのように見えるが、市場経済がそこに入り込んでいく過程なのだ。そしてその時に邪魔なのは「文化・宗教」であり「具体的にそれを実行している『家庭』」なのだ。

実は、私たちの社会も同様のことが起こっていたのだ(注)。しかし、その変化は良いものに見え、世代の交代と同時に起こり、喜ばれたのだ(注)。

グローバリズム本棚

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みんなお腹の中にうんこ持っているにどうして汚いと思うのか?

これが面白い、僕は、いい仮説を持っているのだ。事の発端は生まれたばかりの子供、犬や猫といった獣は「ウンコが汚い」という概念を持っていないのだ。セックスも隠さない。

ヒトはセックスを隠すし、女の人見るとムラムラするなどと言ったら、人間性を疑問視される(カーター大統領が言って、みんなに笑われた)。年寄りはセックスしたいと感じないと思いこんでいる。これはヒト独特のおかしな「習性」である。

それと「ヒト」の持っているこの奇妙な「習性」を統一的に説明できるのだ。

1)身体の中に数限りなく生きているマイクロバイオームが私達を操縦している。
2)食事とセックスは身体というコロニーに外部のマイクロバイオームを取り込む作業だ。
2−1)言語習得前の幼児はマイクロバイオームの言うとおりにウンコでもなめるし、他の生き物友セックス(なめたりしゃぶったり)する。
3)ヒトは「言語活動と社会という枠組み」を通じて、個人を制御した。
3−1)それは、共同作業による富の生成と分配、感染症に対してのシェルターであった。
4)しかし、コミュニティの目(神の目)が無いところでは3歳児に戻る。

宗教という個人を縛る檻は「家庭=コミュニティ」の中ではじめて機能する。そこには自分が逆らえない親がいて、親は自分に介護してもらうと言う「人<ー>神」の関係があったのだ。

隣近所の家庭においても、セックスは共有されていた。だから、よそ者に感染症を持ってこられることはかなりまずい。コミュニティ全体の崩壊を招きかねない。聖書には焼滅された村が描写される。

だから不倫した人間が破滅に追いやられるのは当たり前の行為なのだ。

家庭の中でのセックスレスやDV、皆同じ問題から生まれている。マイクロバイオームは気まぐれなので、パートナーとのセックスを避けようとしても不思議はない。おまけに子供ができればそちらとのマイクロバイオームの共有のほうが心地よい。

子供とのスキンシップというのは合法的な幼児とのセックス(マイクロバイオームのやり取り)なのである。出産後にセックスを拒否されるのは意味がある。母乳って作られるプロセス的には血液である。多くのマイクロバイオームは母と子の間で、行き来する。それで満足なのだ、逆に夫とのセックスはリスクを伴うのだ。

ラスト・ボーイスカウトと言う映画の中で不倫した妻に『今度他の男と寝たくなるようだったら「犬を飼え」』という。犬を飼うのはセックスするくらい満足するのだろうか?英語の慣用表現なのだろうか?

犬のウンコならティッシュで掴んで捨てても抵抗はない。ヒトのウンコではこうはいかない。寝たきりで亡くなった父のオシメも最初は抵抗があったが最後には大丈夫に成った。父のマイクロバイーオームとの接触を通じて、僕の一部分になって行ったのだろう。

マイクロバイオームが私達を操っているのだ。衛生観念というのはその操りを納得するための理屈である。

セックスが始まればあんな所なめたりしゃぶったりするが、いずれもマイクロバイオームのやり取りに最適である。脈拍は早くなり身体の内側では数多くのマイクロバイオームが我も我もと唾液やカウパー腺液に紛れ相手に移住したがる(笑)。雄においては、最後に「自作のマイクロバイオーム=精子」がお出ましになる。精子の活動はウイルスそっくりの「律」がある。

相手が何者であろうとも、社会的に破滅しようとも、やっちまう。しかし、相手が「感染症」であると思ったらポンとしたくなくなる。納得のできる説明だと思うのだがなあ。

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注)コストのかかる「占領」が必要なくなったのだ。

この「占領=文化の破壊と生活コストの徴収」と言う図式はあらゆるところで見ることが出来る。国内でも見ることが出来る。これが僕の今向き合っている「格差問題」の本質である。

毎日忙しくて「商品化された食事」しか食えない家庭を考えてみれば分かる。忙しいのは時給でしか生活の維持ができないからだし、「商品化された食事」しか食わないのは家庭でプロセスを大事に作った食事殿さがわからないのだ。そもそも、食事作りという「高度のインテリジェンスの必要な仕事」は習得も維持も困難である。

同じ満腹が得られて、医師・栄養士の太鼓判の押された食事ならば喜んで20時に半額になる食事を買って食べる。そしてそんな食事こそが、わたしたちの人生の終わりを辛いものにしているのだ。

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注)実は、私たちの社会も同様のことが起こっていたのだ

東北と東京の関係を見れば分かる。「おしん」と言うドラマでは出稼ぎに来た女性の半生が描かれる。農家は大変だ、飢饉になれば家族山に捨てなければならない。都会で「時給仕事」していたほうがいいとも思うだろう。

しかし、本当にそうであろうか。「うめえもん食えなくとも百姓やっていたほうが良いと思わねえか!」桑畑四十郎はヤクザになろうとした若者を諭す。さすが世界の黒澤である。

この映画(用心棒)は見直してみるとすごい発見がいくつもある。グローバリズムは現代に限ったものではないこと、登場人物が皆格差の中で生きていること、役人の絡み方もすごい。ラストのオチの付け方も素晴らしい。

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注)世代の交代と同時に起こり、喜ばれたのだ

上野千鶴子、イヴァン・イリイチ、の著作が大いにもてはやされた時代がある。「女性解放」と言うムーブメントである。わかりやすく大いに結構であるが、失ったものを理解できなかった。

行政に委託することで失ったものを肩代わりするが、出来上がったあらゆる仕組みは私達を苦しめる。「おひとりさま」などとカッコつけているんじゃないよ。

こういう記事を見ると、ホント学者は役に立たない。自分の責任を感じていないのか?学術会議などというものは潰れてしまえな良いのだ。

クメール・ルージュがインテリを皆殺しにしたのは、社会を肯定して維持して来ていたからである。もう少し優しい方法はなかったのだろうかと思うが、文明の崩壊はッシ羽化たちで怒るのだろう。憂鬱になる。

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注)ニューズウイークの記事はいつも楽しい。あまりに一般的な常識を書いているのでネタになるのだ。

これには笑った。鹿や猿が自分が何という「種」に属しているか知っているというのだ。おかしいと思えよな。擬人化は科学というよりもファンタジーだ。

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注)しかし、それだけで納得はできない。

日本では、突然、子供を刺すし、アメリカでは協会に行って銃を乱射っする。神さをを殺そうとしてのだろうか?テロの形は国それぞれである。ベトナム戦争時、僧侶が焼身自殺した。子供の自殺も僕にはテロに見える。

精神病患者も自殺する。「リストカット・拒食・過食・依存」すべて他人から見れば異常であるかもしれないが、自分も患者の立場になれば同じ様に振る舞うう。他人を「病気」と一言で片付けて薬処方する(医療グローバリズム)。患者の現実を見ないようにするのは、患者の苦悩で自分が儲けていることをわかりたくない(サイコパス)からなのか、バカなのか。

どちらにしてもそんな専門家に命は預けられない。

神さま

「気分はもう戦争」大友克洋さん、矢作 俊彦さんの名場面

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厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。