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「突然キレる夫(僕のことです)が怖い」僕も怖い!

これは記念パンチングメッシュ。2016年に大キレして、このザルで机を殴り、頭を殴り、左腕を、額を殴った。血まみれになった。もちろん僕の身体である。自分で自分を殴った。いくら「切れても怒鳴ってもアンタなんか怖くない」と言われたからだ。さすがにリストカットはしなかった。出血の記念品だ。もちろんザルとしても使える。

最近は良くなてきたが、僕は妻にキレる。怒鳴り、殴ることはないが決して自制しているわけではなく、本気で妻が通報することを知っているからだ’(笑)。

事の顛末

2016年母が亡くなった。初七日の前日僕は「ネズミ(30万円香典に持ってきた母の10歳年下の弟と言い張るゲッシ類)」の家に怒鳴り込んだ。朝6時にである、土足で上がって30万円を叩き返してそのまま胸ぐら捕まえ、頭突きで顔を滅やクチャに潰そうとしたが、止めて、帰った。

四十九日に納骨が有るということで、呼んでもいないのに東京からカエルがきた。僕より早く母から生まれたと言いはるが嘘だと思う。庭で草刈りをしていたので町内を追いかけ回した。朝6時である。息子には驚きのモーニングコールと言われた。あんまりカエルの鳴き声がうるさくて向かいのアパートの人に通報されたのだろう。ブロックを2周酒のケースを持って追いかけ回したところで警察が来た。事情聴取され、警察は帰った。雨が激しく降ったので納骨は延期された。

カエルは僕を精神病院に入れようとした

何度もカエルは妻に連絡して僕を精神病院に入れるように説得を試みた。妻もうすうす僕がおかしいと思っていた。寝ていて大声を出すのである。それはそうだ、悪夢を見るのである。カエルとネズミを殺す夢を見た。母の出刃包丁でメスカエルの目を切り裂きオスカエルをめったさしににして家に火を付ける。ネズミはその前に池につけておく。

精神病の本をとにかくたくさん読んだ。本当に人を殺す前に自分から入院するか、死のうとも思った。

しかし、そのどちらとも選ばなかった。父が生きていたからである。僕は出来が悪い会社の経営者だ。父母には大変助けてもらった。父は家で食事ができると信じていたから毎日僕が食事を作った。

10月に父が「東京の親戚に合いたい」と言っているからと言ってカエルが家に来ると妻に行ってきた。それを聞いて、僕はではカエルと和解して父を東京に連れて行ってもらおうと僕は言った。

妻は僕に怪訝そうに本気なのと聞いた。僕はカエルをキッチンに座らせてアイスピックで刺し殺すと言った。そしてパンチングメッシュのザルで僕自身を殴った。カッターがなくてよかった。大声で怒鳴り庭に行った。

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写真は母の納骨の日

妻が父を起こして断りの電話をかけ、来ないでくれるように言ってもらった。結局カエルは来なかった。それ以来一切音信不通である。ネズミは直ぐ側に住んでいるが運良く僕の前をチョロチョロすることはなかった。見つけたらどうするかわからない。

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認知症の薬でヘロヘロの母から金をせびり取った

母が亡くなる3年くらい前からカエルは年4回仕事があると言って一人で来ては20万円もらって食事もしないで帰る様になった(それ以前は家族で年一回お盆に来た)。まあ、田舎の年寄は体の良い年金のATMである。当然食事して帰ると思っていた母はどこに行ったかと探す。安定剤(当時は治療する薬だと思っていた)を多くのみフラフラになる。一度は庭でひっくり返って骨を折った。

カエルに来ないようにお願いしても、自分には会う権利があるからと言って仕事のついでと言って年4回来る。金をもらったらすぐ帰る。本気で怒鳴りだしたら今度はネズミを仲介役に立てた。

仲介の席でネズミは父の土地を巻き上げようと思った。

その席で、僕は父にお金の援助を受けているとハッキリ話したがカエルは少しだけ会社設立の時に頂いたという。帳簿に残っているから隠せないのだ。

しかし、なにかといっては父母から金をせびっていたのは僕がよく知っている。しかし証拠がないと高をくくっていたのだろう。(実際には3000万円の銀行振込の明細が出てきた。20年くらい前からなにかといっては振り込んでいたのである。父は全てとってあった。父はさすが経理50年である)

僕の方は隣の土地に家を立てた時に登記を父の名義から僕の名義にしたので生前贈与に当たる。父の遺産は、カエルが総取りになるのだ。

初七日の前日、ネズミは僕を呼びつけて、僕の会社を潰せという。母があれほど応援してくれた僕の会社をだ。収益が上がらないのだからもうだめだから潰せという。まあ、田舎では前の市長の後援会して、ブイブイいわせている名士だ。楯突いたら田舎では生きていけない。みんなどこかでつながっているから。

僕はもう死ぬつもりで、ネズミの家に怒鳴り込んだ。母が死んだから、もうどうでも良かったのだ。殺す寸前で父の顔を思い出した。僕がこいつを殺したら、父は施設に入れられて、遺産は皆カエルの物になるではないか。なので殺さなかった。冷静である(笑)。

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父は一千万相当の土地を遺贈すると言う

妻を説得した。いくら僕が感じていることを話してもカエルとネズミがそんな事をするわけがないと言う。当たりまえ常識的な女である(笑)。

父の遺志を尊重するならば、遺言を書いてもらうことにしようと話した。土地は本家の跡取りに遺贈すると言う内容だ。今の父の土地は僕と妻の名義に知るのは父の望みであった。施設に入らないで庭を眺めながら死にたいというのも望みであった。父の養女にもなってもらった。

とにかく法的に何重にもにも父を守ろうと思った。僕が死んでも大丈夫なように妻には頼んだ。しかし、僕が死んだら父を施設に入れることになっただろう。それは仕方がない。介護は並大抵のことではない。うちは家が隣で父が元気だったからまだ良かった。トイレの世話も無くなる直前前は大丈夫去った。

僕は母に育てられた。叔父や兄の言うことはちゃんと聞きなさいと言われていたし、そうしてきた。そして母が亡くなった。だから、もう僕には叔父も兄もいない。チュウチュウなくネズミとぴょんぴょん跳ねるカエルだ。動物愛護の観点からも殺すわけには行かない。

父はなくなって、遺言は実施された。

しかし考えてみれば1000万円近くの価値のある土地を赤の他人に遺贈するのである。これはもう認知症と言ってもいいし、それを実施しようとする僕は気が狂っていると言われてもおかしくない。だって、一千万円誰かにやれるか?

僕が、統合失調症やうつを病気ではないと思っているのはこの体験からだ。自分を誰かが奴隷にしようとしているとき、そして戦うことが出来ない時人はうつや統合失調症になる。

決して病気ではない、当たり前の人間がとんでもなくひどい場所に追いやられたときに起こるのだ。問題なのは、追いやった人間はその事で利益を得ているのだ。イジメ、パワハラ・セクハラコミュニティにおける様々な問題の底にはこの現象が見て取ることが出来る。

死んでもいいと思い戦ったのだ。しかし、父がいたから犯罪は侵さなかった。僕は運が良かった。

あらゆる手札を考え最も効率のいい方法をとっていたことが後からわかるが、そのときは必死で反応していたのだ。やっぱ、一番ずる賢かったのは僕だったのだ(笑)。

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だから僕は今遺言をnoteしている。

子供たちは、格差と忖度の世界に生きなければならない。しかし、これは仕方がないことだ。僕らは昔からずーっとそういう世界にいる。

社会は変わるが、人間の愚かさは変わらない。

素晴らしさも変わらない。

誰かと愛し合い、何かを見つけて生きてほしい。嘘ついたり、人をだまじたりしないで生きてもらいたい。

中々書きたいことが終わらない、II型糖尿病だが食事もいい、このままでは米寿までも生きそうだな。

カエルにネズミ、文句があるなら俺を殺しに来い。

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父は何故土地を遺贈したのか

父は母と結婚する時に、父親から土地を譲ってもらった。母と結婚するのに担保として祖母が名義を変えてくれたのだ。その土地は市の中心部に在り、ネズミはカエルに買い取る事ができると暗示されたのだろう。

父は実家の跡取りにその土地を遺贈するという。僕にとっては父の言うことのほうがスキだった。

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とても苦しんだ。

かつての「家制度」が女性を差別して苦しめたとよく言われるが、長男以外の男も同じ目にあっていた。開放されたのは女性だけではない。

しかし、企業の奴隷となり、うつや統合失調症にならざるをえないくらいパワハラとセクハラに苦しめられる。

どこに出口があるのだろうか。空の高いところにいる人はなにか言ってくれるのだろうか。

神さま

「気分はもう戦争」大友克洋さん、矢作 俊彦さんの名場面

本家の嫁はツライ

僕の家は分家だったので父と母は共に台所に立ち、自分たちで人生を考えた。運良く父はサラリーマンになったので何とか家も持てた。しかし、もしこれが地元に企業がない時代だったら、一生賃仕事で年金もなく、年老いていっただろう。母の時代の丁稚の人たちは大変苦労した。年金もなく、農家の次女三女と結婚した、そして長屋で一生を終わった。

本家は財産を分けるということはしない。「戯け者=田分者(田んぼを分割することはスケールメリットを失う)」といい言葉の意味はこれだと聞く。

だから、本家にいつでも分家は遊びに行く。財産の分割が無い代わりにごちそうしてもらえるのだ。本家の嫁は、まるでお手伝いさんのようにあつかわれる。noteでも農家の娘の方がそういう一族の集まりを嫌うことがでてくる。家に鍵をかけずいつでも勝手に入っていく。兄弟が子供の頃と同じ様に振る舞うのだ。親がいる限り実家は自分の家で在り続けるのだ。

僕も母方本家に行ってごちそうになった事ををよく覚えている。分家は株主のようなものである。その代わり本家になにか言われたら絶対服従なのだ。

僕が本家のネズミに会社を潰せと言われたのもそんなメンテリティの延長である。名済みやカエルにとってはアタリマエのことだ。

父母は僕に帰ってくるなと言った。そんな人の関係の中で生きる事が嫌でたまらなかったのだ。しかし僕は東京で食い詰めて帰ってきた。

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カエルは母に会いに来れば大様気分で僕の家に泊まり好き勝手して帰る。30分くらいうちで一緒に飯食って一泊して20−40万交通費もらって帰るのだ。僕は1万絵もらって食事の用意をした。まあ、下男のようなものだ。

不動産屋をしていたネズミの建築会社に母の年子の弟の材木会社が納入していただ喧嘩になって取引を中止されて弟の会社は潰れ、和解すること無く肺炎亡くなった。母はそのことを一生許さなかった。

かつて経済が小さい範囲で閉じていた時代が有る。東京でも高層ビルなどなかった。水洗トイレとエレベータが東京の農民を大金持ちにしたのだ。その時代までは東京でも家はしっかり残っていたのだ。

長男は王様なのだ、一緒に食事をしないで帰っても何があっても従うべき賢い家の柱なのだ。本家の跡地はいつも分家の事を考えてくれるから忠実に従わなければならないのだ。

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ある意味、この話の続きです。

実質的にこの話に続きます。

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一応、この物語はフィクションです。一番最近悪夢を見たのはお盆の少し前です。随分酒のんだなあ。やっぱ俺病気かねえ。いい薬あるそうだが。

記念のパンチングメッシュ

父と僕2015

最後に一緒にタケノコを掘りに行った時の写真。この山は母の父親が母の名義にしておいてくれた山である。沢山の筍が生える。母のお墓をこの直ぐ側に立てた。今はふたり一緒だ。僕も行くところだ。

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