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チリコンカンの頃、ボイルストン大好き

今日は、大豆を煮てチリコンカンを作ることにした。新婚旅行の直前に指輪を買いに東京に行って、東京時代によく通った高田馬場のお店に行った。
ボイルストンという名前のお店で、アーリーアメリカンの料理が素晴らしかった。

店長さん、バーボンの飲み方を教えてもらった。今はどうなさっているだろうか?東京時代のことである。帰郷してから鉄工所で働きながら友人からソフトの受注を頂き始めるのであった。1995年前後である。インターネットの商業利用が開放された頃である。おかげでソフトを作ってメールで投げることが出来たのである。何よりも、彼たちとのつながりがあったから出来たことである。
バーボンの並行輸入のお店で、アメリカの地酒が並んでいた。20本キープすると一本おまけにいただけるキャンペーンをしていた。僕は2本くらいもらって、その後オイルライターに変わったと思う。それも頂いた。
料理がしっかりしていた。ジャンバラヤ、チキンポット、チリコンカン料理の美味しさも教えてもらった。
妻と、一番奥の眼鏡の方は僕に「RDB:リレーショナルデータベース」を教えてくれが恩人。不動産屋の営業と雑誌の編集をさせられていた時に、雑誌作りの電算化が始まりデータを作りCTSで印画紙に出力するための『駅データ」をマルコーのマシン(IBMオフコン:S/38)で作る事になったのである。当時、僕は会社で独学で表計算ソフトを勉強していたので担当となった。
おとなしい方である。不動産屋を飛び出して入ったソフト会社の仲間達である。彼らがいなかったら今の僕はいない。
マルコーから転職して、ソフト会社に入り、独立して食い詰めた。そして新潟に帰ったのである。あまりに辛くて、1年音信不通であった。そしてジムニーと出会い、宝台樹のキャンプ上で一年頑張って駄目だったら死のうと思ったのである。ジムニーと別れて、妻になる女性と出会った。みんなどいうしているだろうか。新潟金属が潰された時に仕事を回っしてもらえたのは、彼らとの付き合いがあったおかげである。


僕の料理メソッドは作るプロセスを大事にする。大豆はジックリ1時間半煮てから始める。缶詰は美味しく出来ない。煮汁も一緒に煮込むのである。


野菜はたっぷりである。セロリがたくさんあったので今日は使うことにしたのだ。
ローズマリーオイルとニンニクにひき肉を入れて弱火である。ジックリとチリチリになるまで火にかける。
味付けは甜麺醤と豆板醤に唐辛子と塩コショウである。スパイスを多くは使わないが、甜麺醤と豆板醤は中国からの輸入品を好んで使う。安いからね。


ジックリと足していってソフリットにする。野菜の内に肉の味が入り、野菜の水が肉と絡む。
豆は肉汁を吸うのでチリチリになるまで弱火である。とにかく時間をかける。作るプロセスにこそ美味しさがあるのだ。
トマト缶、赤ワイン、塩の決め打ち、後は適当に調味料(オレガノ・グローブ・ナツメグ・ペッパー)である。この時点で味を決める。


ここから1時間程度水を飛ばす。ジックリと素材に味が入って一つの料理となる。

チリコンカンを食べると、あの頃を思い出す。
何処にたどり着くかも分からずに必死であった。
今もさほど変わりはない。


マユも食べたそうである。
今日は妻のパートだったのでお弁当にスパニッシュオムレツを作った。
継ぎたしおでんには先日の鴨の骨を入れた。これはまた別の話。恐ろしく旨くなっている。

#ボイルストン
#チリコンカン

厨房研究に使います。世界の人々の食事の価値を変えたいのです。