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「野獣刑事」って、トンデモナイ映画
何と言っても、いしだあゆみさんの妖艶さが素晴らしい。
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泉谷しげるさんがいなければ成立しない映画であった。
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緒形拳さんのくそったれさもいい。
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「ハードボイルドな栄養学」
1982年22歳の頃の映画だから、その数年以内に、名画座で見ている。
飯田橋の佳作座かギンレイホールであったであろう。
随分打ちのめされた記憶がある。
しかし、この映画(本物の映画:人を描いている)をあのタイミングで見たおかげで、「多くの刑事モノと言われるドラマ(都合よく事件が起こり都合よく解決する)」を笑えるようになった。
良質のドキュメンタリーでもある。
そこで生きて死んでいく人々はフィクショナルであろうが、ヒトとして共感できる。彼らがそう生きたことは、自然で当たり前の反応なのだ。刑事だろうが、シャブ中だろうが、当たり前の生命として描かれる。セックスを求め、刹那の内に生きる。どの登場人物にも共感することが出来て、自分自身がそこにいると感じる。
素晴らしい物語はそういうものである。
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チャンドラーは著作「簡単な殺人法」の中で、ハードボイルドとは、事件を描くのではなく、「ヒト」を描くのだという。社会の中で、犯罪者も探偵も同じヒトとして生きるのだ。
自分がその立場であったら、そうせざるをえなかっただろうと納得のできるドラマこそが素晴らしいのだ。
僕の食事メソッドの根底には、「ヒトの姿は、食事に対しての当たり前の反応である。ヒトは食事なりの姿になる。
健康であるか、災厄の内に苦しんでいるかはその人の生きている場所(食物連鎖)が現れたものなのだ。」
という信念がある。
まさに「ハードボイルドな栄養学」である。
「政治的に正しい栄養学」の対局にある。
あの子はどんなエピローグをその人生に描いただろうか。
西成に住んで、天下茶屋のあたりを歩いた頃を思い出す。
見ると良いと思うのだが、覚悟決めて見たほうが良い。
うかつにもレンタルで見つけて借りてしまった。
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