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安楽死についての余り一般的でない議論
安楽死というのは議論が難しい。生命の尊厳、本人の意志、考慮に入れなければならない状況が多すぎる。介護施設に親を入れるというのは(世話しなくて良くなるのだから)家族からみたら安楽死と一緒である。死んだときとの違いは年金が振り込まれるかどうかである。
施設で親を見てもらうのはあたりまえのことである。自分も生きていかねばならないのに、家族の世話をしていたら共倒れになるのだ。だから仕方がないことなのだ。
問題は、親を世話しないと「親不孝」な「人非人」と思われるというメンタリティが強いことだ。だから「親を施設に入れても親不孝じゃない」とか「棄親」「認知症は病気なのだから施設で治療しなければならない」とか色々なことが言われる。実際沢山の本が出ている(注)。
気にすることはない、私達はみないずれ施設に隔離され、そこで一人死ぬのだ。奥さんの顔も忘れ、同じ施設にいても他人となり、一人孤独に死ぬのが私たちの運命なのだ(注)。
僕は自分が施設で死ぬことをいつも考えながら生きている。だから施設の職員の人のnoteもいつも見ている。なかなか面白い。
かつて、「介護」と言う概念がなかった時代がある。
私達は過去を忘れる生き物のだ。年金がごく最近の発明だという事も忘れている。家族という単位が企業(商店や農家)の単位で国家というものが精々で「警察・軍隊、鉄道、専売公社、徴税窓口」であった時代のことである。
ソニーもパナソニックもホンダも、田舎の商店であった時代である。この時代は介護と言う概念はなかった。精神病などという概念もなかった(注)。
当たり前に年取って、動けなくなったら家に寝たきりとなる、そして家族があらゆる世話をするのだ。金持ちは人を雇ってやってもらうことも出来たがそれは金がある人である。
妻の父親の母は寝たきりで10年近く介護を受けて亡くなった。色々と話を聞くが辛かったようである。
僕は2020年3月に父を亡くした。最後の1ヶ月は圧迫骨折で動けなくなった父親を介護していた。しかし、周りにこういう体験をした人がいなかったのでどんな事が起こるのか分からなかった(注)。
年取って死ぬということを学べた。
これは大変な学びである。死というものを目の前で見るというのは驚きである。また、「背骨の圧迫骨折」というものが当たり前に老人に起きるということを知ったのもお驚きであった。
自分もそうなるのだと考えると何とも言えない気持ちになる。
介護施設の人のメンタルヘルス問題
介護施設の人のメンタルヘルスを考えた。十分にケアされているのだろうか?単に時給で考えて税金は分配されているのではないかと思う。
お世話になった関係各位の方々に御礼を言うためにお会いしたが、相手の人が涙ぐんでくれて、泣いてしまった。しかし、まともに生きていたらメンタルが持たないだろう。友人にも働いている方がいるが、「職が人を選ぶ」と感じる。辛い仕事だ。
僕は介護の現場の人にどんな物が見えているかもっと書いてもらいたい。結論は人それぞれだし、それぞれの立場で考えることがあるだろう。
できるだけ生の体験を知りたいと思う。それが多くの人に共有できた時、自分の問題と感じることができるようになった時に、変化が起こるだろう。
老人の状態は、良くなることはない。まさにターミナルケアなのだ。辛い仕事だと思う。
医療現場と同じ等に人に接する仕事なのだからもっと考えたい。
トリアージュとはなにか?
楢山節考、姥捨山、いずれも家族の中で介護ができなくなっった時に、家族を殺すお話である。「緊急避難」と呼ばれるものである。国は勝手な理屈で予算を削るだろう。つまり年寄の票が見込めなくなったら予算は削減される。今でも、まっさきに食費が削られている。「教育=教師や大学教授の給料」「インフラの整備=土建会社の売上」「軍事費」と両立しなくなった時に本格的な「国民の選択」が始まる。
しかし、今も世界の各地では数百万人ベースで餓死が起こっている。世界の人口全てに食料を拝聞したら足りなくなるという試算も聞く。
大金持ちの方々が殺していると僕は思うのだが。会社潰して失業させて殺すのも一緒だ。僕は、トリアージュというのは、顔が見える相手を対象にするレベルでないと歯止めが効かなくなると感じている。
はてさて、僕はどんな生活を施設で送るのだろうか。そんなに遠い未来の話ではない。
注)実際沢山の本が出ている
「棄親のすすめ」と言う宗教学者の書いた本を読んだが、当たり前のことを権威ある(とされる)人間が書いているだけで呆れた。数ページ読んで止めたのでどんでん返しがあったかなあ(笑)。そもそも都会に住んで親と離れて20年も暮らしていたら、「それ」はもう親ではない。単なる汚い爺さん婆さんである。施設に入れることの葛藤など生まれない。年金を使い放題になるから万々歳である。しかし、こういう本を読んで「専門家が書いているから私はいいの」と言えるような方々はもうすでにずーっと前に親を捨てているのだ。
理屈では分かっていても、自分の中に葛藤が生まれて心が苦しい人をすくってこその専門家であろう。共感して泣いてくれる人と出会えることが宗教なのだ。
阿川佐和子さんの体験を元にした小説を新聞で読んでいた。ちょうど母が亡くなって父と暮らしだしたことのことである。阿川さんの結論は当たり前のものであった。施設に入ったらもう実家には戻ってこれないと言う事は寂寥と言う言葉がふさわしい。兄弟との確執や細かい描写に心が打たれた。
注)介護だけでなく精神病という概念もなかった
社会の中で「きちがい」と言われながら共に生きていた時代があった。多分僕が高校の頃まで時折道で見かけた。僕が小さい頃「旗馬鹿」と呼ばれるオヤジがいた。長い竹竿の先に小さな布切れを付けて引きずって歩いていたのだあ。なんと母が若い頃からいたという。家族だけでなく社会全体が他人を見捨てないで生きていた時代である。
注)父が亡くなった時の事
まだ、考えている。あの時どうしていたら良かったのだろうかと苦しい。もう済んだことと思うことは出来ない。お盆である。
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