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Tristan und Isolde 徒然⑩ 死への憧れ

トリスタンは「死にたくても死ねない」運命を背負った人物でして、幾度も死を覚悟した瞬間があるのにも関わらず、死ねないのです。詳しくは過去記事をご覧ください。

そんな彼ですから「死に対する憧れ」は人一倍強いのです。それを体現するようなライトモティーフが存在します。「死への憧れの動機」です。

上段4小節目より、トリスタン「神聖な夜への遠い憧れ、そこでは永遠に、ただ一つの真実として愛の歓びが微笑む!」

2幕2場昼の対話の最後の場面です。これを最後に長〜い夜の対話に入っていきます。トリスタンの歌う「神聖な夜への憧れ」というのは「死ヘの憧れ」と言い換えても良いかもしれません。

このテーマの特徴は「トリスタン和音の連鎖」であることです。とても『トリスタンらしい』と言える箇所です。 "Sehnen"に当てられた和音は低音が「レ」になっていますが、減5短7の基本形に戻すと
「ソ#シレファ#」つまり G#ø です。
同じように次の和音は Dø 、これは減5度違いで「同じ和音」を並べたということで、和音進行とは呼べません。減5度違いということは、以前お話しした「裏コード」とも取れるわけで、同じ和音の別の側面を見せているに過ぎないのです。続く和音は Fø 、これは前奏曲冒頭の響きですね。続いて Emaj7  E7 と進みます。これで一まとまり。

機能和声では説明できない音楽ですが、これだけトリスタン和音を連発することによって「幻惑、陶酔、憧憬」といった曰く言い難い感情を表現しています。

(追記:楽譜の最後のところ E7からDに行きますが、Ⅴ度からⅣ度の和音に進行してますね。普通、機能和声ではドミナントからサブドミナントには進みません。弱進行と言われているものです。ところがトリスタンではこれが「最もトリスタンらしい」進行です。「イゾルデの愛の死」のクライマックスがこの進行です。この場面でもう予告がされているということです。)

そう言う訳で、何度も言いますが、とても『トリスタンらしい』箇所なんであります。

夜の対話に入ってからもこの進行が聞こえてきます。

イゾルデ (静かに)「 聞いて、愛しい人! 」
トリスタン (同様に) 「死なせてくれ!」

イゾルデの歌い出しに聞かれるメロディーは「まどろみの動機」と呼ばれています。そしてトリスタンの歌う1小節前からが「死への憧れの動機 その2」です。あはは、歌詞はまんま「死なせてくれ!」ですね!!Fø 続いて Bø やはり同じ和音の別の側面への移行、転換にすぎません。そして D♭7を経由して C7 に落ち着きます。 Fø → Bø という連結は同じですが、最初のテーマとは「低音が保続されている」というのが違っています。この動機の骨組みを下記に示しますが、これをみると『全ての声部が半音階進行である』というのがお分かりいただけるかと思います。

「死への憧れの動機 その2」の骨組み、全てが半音進行

「死への憧れの動機 その2」は『トリスタン和音連鎖』と『半音階進行』という作品の大きな特徴を2つも備えており、『最もトリスタンらしい』音楽なのです。

3幕で「死への憧れの動機」が再登場します。

トリスタン「この恐ろしいまでの憧れ、俺をさいなむこの気持ち、この思い焦がれる激しい気持ち、俺をさいなむこの気持ち。それを俺がお前にうまく説明できれば、それをおまえが分かってくれればいいんだが。」

3つのトリスタン和音に長7、属7と進む連結で、2幕で最初に出てきたものと同じです。それがゼクエンツで長2度上昇します。2段目2小節目からは、長7属7には進まず全てがトリスタン和音で占められています。狂おしいまでに『トリスタン』の音楽を享受できるシーンです。

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ワーグナーは「ジークフリート」の作曲を2幕途中で中断してまでも「トリスタンとイゾルデ」を書きたくなりました。それはこのような新しい音楽の語法と詞の結びつきを模索したくなった、ということだと思うのです。1857年6月28日付のリストに宛てた手紙にはこうあります。

「私はジークフリートを人気のない森の中に連れていった。そこで彼をリンデの木陰に置き去りにして、涙ながらに別れを告げた。」

ところがその年の8月に、一旦別れを告げたジークフリートに対して忘れがたい感情を抱き、彼の元に引き返して幕切れまでの音楽を書いたのです。それがこういう音楽。

ジークフリート「ああ、なんて素敵な歌だ!甘い吐息のようだ! 今の言葉は、まるでぼくの胸を焼き焦がすようだ! まるで、ぼくの心に激しい火をともすかのようだ! なんだか急に、胸や心が、ざわざわしてきたぞ?」

森の小鳥から「ぼくは、彼にもってこいのきれいな女の子を知っているよ。
その子は岩山の上に眠っていて、その周りを炎が取り巻いている。だけど、はじける炎をかいくぐり、花嫁の目を覚ましたら、ブリュンヒルデは、彼のものになるよ!」と聞き、これまで感じたことのないようなときめき、興奮、情熱を感じます。その際に聞かれるこの音楽には、トリスタンで見てきたような和音連鎖が見て取れます。これはそれまでのジークフリートの書法にはなかったものです。トリスタンへの情熱を持ったまま、一旦ジークフリートに戻った時の音楽はまさに「トリスタン」風の音楽になっているというわけです。

一般に「ジークフリートを途中で中断して、トリスタンとマイスタージンガーを書いて、またジークフリートに戻った」と説明されることが多いのですが、このジークフリート2幕の結末を、一旦トリスタンに足を踏み入れたワーグナーが、それと同じような心の昂りをジークフリートに見出し音楽を付けた、というのは重要なことだと思います。

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