ワーグナー楽劇の終止についての考察 Wagner column #2
今回はワーグナー楽劇の「終わり方」について考えてみる。彼の主要作品10作の最後のハーモニーに注目してみると「変格終止」が多用されているのに気付く。「変格終止」とは下属和音から主和音への終止形のことで、簡単に言うと4度から1度への進行のこと。賛美歌の最後で「アーメン」と終わる形、あれを想像していただけるとわかりやすい。
一般的にワーグナーの変格終止は「浄化」「救済」と結びつけて理解されることが多い。作品の最後を締め括る和音に変格終止をあてることにより、その理念を裏打ちしていると言えるのではないだろうか。それでは具体的に見ていこう。
「さまよえるオランダ人」
初版ではひたすら続く主和音で終わっていたが、のちに改訂された版(俗に「救済ありヴァージョン」)ではハープが導入され、オランダ人を追って海へと消えたゼンタによる救済を表現する変格終止が用いられている。同じく改訂された序曲を除くとハープはここにしか登場しない。救済を意味する楽器と和声が終結部に聞かれるわけだ。
「タンホイザー」
枯木の杖に緑が芽吹くという奇蹟が起こる。男声合唱が金管楽器を従えて「恩寵による救済の動機」を謳い上げる。その内容はこうだ「悔い改める者は恩寵の許しにあずかり/いまや天井の安らぎを得ん」。女声合唱もアレルヤ!と唱和し神を褒め称える。歌いきりのあとに変格終止が聞かれるがこれは「アーメン」に通ずる内容ゆえと思っていいだろう。
この幕切れ、感動的ではあるしわかり易いのだが、幾分唐突でそれまでタンホイザーを排斥していた人々が神を賛美することに、いささかの居心地の悪さを感じてしまう。明確な変格終止がそれを助長していると私には思えるのだが。
「ローエングリン」
ゴットフリートが現れローエングリンは去る。ブラバントの人々は王子の前にひざまずき忠誠を誓う。エルザは”Mein Gatte!”とのみ叫んで意識が薄れ地面に崩れおちる。人々の”Weh!”という声を最後に、やはり変格終止が現れ急速に幕が降りる、、、このようにこの作品の結末は正直言って他の作品同様のカタルシスを求めることは難しい。愛の悲劇のあとに残るのは政治的に脆弱な希望のみ、このあえていうなら「逆説的な浄化」を最後の変格終止に感じる。
「ラインの黄金」
これは変格終止ではない!決然とした属音→主音の進行だ。ヴァルハルのテーマが轟々たる音響で鳴り響き、城の偉容とヴォータンの力を表現する。しかし傲慢な神々を象徴するみせかけの華やかさともとれはしないだろうか?神々のこの先の運命を知っている我々としては一時的な栄華にしか映らない。完全なる進行もそれを揶揄しているとも感じられる。
「ワルキューレ」
ヴォータンは寝かせたブリュンヒルデを火で囲むが、そこを去る時に何度か痛ましげに彼女のほうを振り返る。それを表す「運命の動機」は魔の炎の音楽の煌めきの中に現れる。ホ長調の音楽の中で「運命の動機」はニ短調のコードで聞かれるためニ短調主和音→ホ長調主和音という特殊な進行が発生する。この一種異様な進行がヴォータンの苦悩を表現しているのだ。これは変格終止とは違う種類のものである。
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