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ボリス・ゴドゥノフの音楽攻略法①

ボリス・ゴドゥノフの音楽は、際立って有名なアリアとか口ずさめるメロディーなどが少ないですし、全体に暗い色合いもあって華やかさに欠けることは否めません。朗誦風の音楽も多く、どうにも捉えどころがないと感じる方は多いのではないでしょうか。でもボリス・ゴドゥノフはロシアオペラの「傑作」と言われています。何故なんでしょう?

まず第一に、ボリス・ゴドゥノフという人物の描き方が優れていることが挙げられます。史実をもとにした「歴史物」ではありますが、これは「心理劇」でもあり、ボリスが持ち合わせる気高さ、醜さ、子供への愛情、冷徹さ、腹黒さ、苦しみ、焦り、苦悩など様々な側面が音楽で表現されています。従来のオペラの枠から大きくはみ出した、まさにムソルグスキーの独創性の賜物なのです。

第二に独特の語法です。グレゴリオ聖歌やロシア正教や民謡由来のメロディーが効果的に用いられているので、とても「ロシア的」なものを感じます。それと相反するような要素、例えば悪魔の音程と言われる「3全音」の効果的な使用、そして鐘や時計など印象に残るモチーフも盛り込まれています。それら全てが融合されて、ムソルグスキーにしか思いつけない独創的なアイディアに溢れた音楽となっています。

一般的にムソルグスキーの作曲技術は未熟だ、と言われますが、それは本当でしょうか?私が見るかぎり、うーん確かに!不思議な和声法、疑問に思うオーケストレーションなどが散見されます。リムスキー=コルサコフやショスタコーヴィッチなどアカデミックな作曲家にとっては、ムソルグスキーの仕事に職人的な細やかさが欠けていると映ったのはわからなくもありません。

しかし一見欠点とも思えるそれが、却ってドラマの持つエネルギーを際立たせている、とも言えるのです。現代風の和声感にない響きは却って斬新に響きます。戴冠式の場面の一番盛り上がる最終和音に弦楽器が入っていないのは常套的には考えられませんが、常套手段ではないことをするのが面白いとも言えるわけです。才能のない作曲家であれば、それらは陳腐なものとして埋もれていくだけですが、ムソルグスキーはそうした欠点とも思えるものも凌駕する独創性を持っていたのです。

そのような価値を感じていたリムスキー=コルサコフは、この作品を世に出すために編曲を行いました。ムソルグスキーの書いたままだと様々な不備が目立ち、そのままでは上演されなくなる恐れがあると思ったのです。彼が稚拙と感じたオーケストレーションの変更、不自然なフレーズ、転調、和声の変更を施し、見事ボリス・ゴドゥノフはレパートリーの地位を得ることができました。しかしその編曲はリムスキー=コルサコフ風なものになりすぎており、丹精でバランスは取れているが、ムソルグスキーのロシア的、原色主義からは退行しているように思えるのです。リムスキー=コルサコフ版はこの作品の普及に大いに貢献しましたが、その使命は終わったと、私は考えています。

そのような訳で、近年のボリス・ゴドゥノフの上演ではムソルグスキー自身の書いた楽譜を採用することが多くなりました。ムソルグスキーが書いた1869年初稿と1872年改訂稿、2つの版の問題についての情報はwikipediaに詳しいので、そちらに譲りましょう。

では今回の新国立劇場上演版の構成はどうなっているかというと、

プロローグ 1場(ノヴォデヴィチ修道院)
プロローグ 2場(戴冠式)
1幕1場(僧坊の場)
1幕2場(酒場の場)
2幕(クレムリン)
4部(ワシリー大聖堂)→新国立劇場版では3幕と呼びます
4幕1場(ボリスの死)
4幕2場(革命の場)

となっています。
改訂稿にある第3幕「ポーランドの場」はありません。また2幕の音楽は改訂稿を使用。初稿にしかない4部と改訂稿にしかない4幕2場を両方とも演奏します。他にも細部に渡って取捨選択が行われています。というわけで、1869年版と1872年版の折衷版、というようにHPでは表記されています。

なお今回の演出については、演出家トレリンスキのインタビューもご覧ください。

今後もっとボリス・ゴドゥノフの音楽を掘下げていきたいと思いますが、まずは!作品中で最も馴染みやすい部分を2つ挙げて、その導入としたいと思います。

一つめは、プロローグ2場「戴冠式」の音楽です。

金管楽器やドラが鳴り響き、木管楽器、弦楽器のピチカート、ピアノ連弾の煌びやかなスタッカートをまといます。途中からは本物の鐘の音も鳴り出し、いかにも華やかな雰囲気を感じさせます。しかし!一抹の重苦しさ、息苦しさを感じませんか?

その秘密は和音にあります。この開始部には2種類の和音しか鳴りません。A♭7(ラ♭ドミ♭ソ♭)とD7(レファ♯ラド)です。増4度の間隔があり「3全音」の音程関係。昔から「悪魔の音程」と呼ばれているものです。

戴冠式の音楽、最初の小節にA♭7、次の小節にD7、低音のC音は2つの和音に共通。ピアノは2人で弾くように指定されている。

この作品の開始部では、民衆が皇帝ボリス誕生を強要されるシーンから始まります。そして戴冠式にも音楽的な苦しさが盛り込まれているわけで、観ている側にもどんよりした感覚が蔓延することになります。そうは言っても、シュイスキイの歌から合唱に雪崩れ込みボリスを讃える流れとなるこのシーン、スペクタクルとして楽しめるものです。ちなみにこの「3全音」の鐘の響きは、後の「ボリスの死」の前にも聴こえてきます。すでにこの戴冠式の場面でその予兆を表現しているとも言えるでしょう。


二つめは、1幕2場酒場のシーンでのヴァルラームの歌です。

逃亡僧であるヴァルラームは酒さえあればどこでもいいと言って、女主人が持ってきた酒を飲み干して「昔カザンの町でイヴァン雷帝は」を歌い始めます。いかにもロシアンバスの声向きの豪快な歌で、民族的でメロディックでロシア的で楽しい歌です。

なおリムスキー=コルサコフ版もショスタコーヴィチ版も半音低いf-mollに編曲されていますが、オリジナルはこの譜面にあるようにfis-mollです。

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