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指揮法

指揮をするための技術として「指揮法」なるものがある。教本も色々出ておりそれらを読めば一通り基本的な動きはマスターできるようにはなっている。4拍子なら1拍目は下に叩き、2拍目は左に、3拍目は右に、4拍目は上に、という具合に。しかし実際にオーケストラや合唱団を前にして振る段になると、ただ図形が描けるだけではどうにもならない。なぜなら空間に鳴り渡る音楽はさまざまな表情を有し、作曲家の描いた想いを「表現」する必要があるからだ。ただの図形を書いててはダメなのである。まして指揮者自身は演奏者に音を出していただく立場だ。奏者が共感を持って演奏できるものが棒の中に表現されなくてはならない。

ところで、私はユーリ・シモノフの指揮が大好きだ。指揮について私にさまざまな可能性を感じさせてくれた人である。

どうですか、この表情!「変態」などと書かれているが「指揮者が表現すること」についてこれほど雄弁に語れる映像はない。もちろん演奏するオーケストラが優秀であることが前提ではあるが、それとても指揮者の掌握能力の賜物なのである。

例えば動画の中にも出てくる「マイスタージンガー」の前奏曲は基本4拍子なので、指揮するのはそれほど難しくないと思う方がいてもおかしくない。実際私は藝大の指揮科の最初のレッスンでこの曲を持っていき、見事に「1、2、3、4」と綺麗な図形を描き振ったのだ。そこに何の表現も含まれていなかったことは言うまでもない。その時の師匠の呆れたような声が、今となっては痛いほどにわかるのだが。そう、本当に指揮をナメていましたね、その頃は。最初の小節だけとっても冒頭和音の質感、テーマの歌い方など考えることがいっぱいあるのだ。「テンポが奏者にわかる」基本的なことに加え、どのような音を出したいか、どのようなニュアンスが欲しいか等を棒を持つ右手と自由度の高い左手を駆使し伝えることが必要なのだ。

その後「マイスタージンガー前奏曲」を振るには、ライトモティーフの扱い方、構成への理解、全曲の中での対応場面を知ることなどが必要だと知る。こうした知識が指揮法を裏打ちするものとなるからだ。もちろんマイスタージンガー全曲をマスターしなければ前奏曲を振ってはならぬ!というつもりは毛頭ないが、知識と指揮法は相関関係にあるということはお伝えしておこう。

広上淳一さんの東京音大での指揮科授業の模様をご覧いただこう。藝大でもオーケストラを振る機会はあったが、ここまで実践的な授業は世界でも類を見ないことだと思う。

ここでの広上教授の指導は至言に溢れている。学生さんはとてもよく振っているけれど、まだまだ自分のやりたいことを棒で体で表現するまでには至っていない。教授が言うように日本の指揮者の卵は「1、2、3、4」と拍をきちんと取らなければいけない、と言ったような強迫観念が染み付いているのだ。私自身もそこからの脱却にものすごく時間を要した人間なので、彼のアドヴァイスを学生のうちから受けることができるのは幸いなことだ。

「オーケストラの指揮はパイロットの飛行時間と同じ」と岩城宏之さんの著書で読んだことがある。慣れるのには時間と経験が必要ということだ。だから若い指揮者はなるべく多く振るチャンスを求めていく必要がある。ヨーロッパの劇場のようにコレペティから叩き上げで指揮者になっていく場合もあるが、日本だとなかなかそれが叶わない。私の場合は学生時代から卒業して10年くらいの間に各地のプロオーケストラで音楽教室やファミリーコンサートのような本番を山ほど振ってきた。それが今の糧になっている。

オペラの指揮はまた別の要素が介入してくる。歌手と劇場だ。「歌手」とは共に演奏する仲間であるのだが、時に制御するのがとても困難な存在ともなる。これを問題なく行うには劇場での経験がものを言う。はっきり言って劇場での修行なしにオペラを振ることはできない。藝大の客員教授だったハンス=マルティン・シュナイト先生も口癖のように学生に「劇場に行け」と言っていた。オペラの空間性も劇場で体験しないとなかなか掴めないものだ。歌とオケのバランスを取るのはオペラ指揮者の大事な仕事の一つだが、その感覚は劇場の空間に身を浸さないと獲得できない。DVDやCDだけ聴いていても全くダメなのである。

クライバーの「ばらの騎士」リハーサルの映像を見た10数年前、指揮者を辞めようとさえ思った。だってテキストもオーケストレーションも全て頭に入っており、ウィーンのオケを前に完璧に制御しているのを見たら、もうため息しか出ませんよ!オペラ指揮者の理想的な姿をここに見る。

ネッロ・サンティも楽譜なしで振っていたし、マルコ・アルミリアートも全く楽譜を見ずに「パリアッチ」の音楽稽古を鮮やかに振っていたのを見学した時はたまげた!その頃からこうした「本当の」オペラ指揮者のあり方を目指すようになったのかもしれない。

それにしても「指揮法」を教えるのは難しい、少なくとも私にとっては。自分が普段やっている指揮という行為を自身で分析するのは難しい。メソッドとしての指揮のテクニックというのは厳然としてあるので、それを教えることはできるかもしれないが、テクニックだけを教えるというのは無味乾燥になってしまう。やはり学ぶ側にまずやりたい音楽が存在し、それをどのように表現するか、を実現するための「指揮法」でなければならないと感じるのだ。

以前「ハンナ」という雑誌に「私の指揮法」というコーナーの執筆を頼まれたことがある。随分書くのに苦労した記憶があるが、オペラのレパートリーを作ることと指揮法との繋がりについて書いている。楽譜の読み込みに時間をかけるうちにどうやって振りたいかは自ずと決まってくる、的な話だ。なにぶん昔のことなので恥ずかしい限りだが、参考までにご覧いただこう。

最近コレペティや歌手のためのセミナーを行なって、自分でもとても良い成果を上げていると感じるが、同じことを指揮者でもできるかもしれないとは思っている。漠然と「指揮者になりたい」ではなく「相手と共に自分の音楽を共有したい」とか「自分の思う理想のトスカを振りたい」といったような方には良いアドヴァイスができそうだ。

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