AI生活:ネットワーク学習し続ける社会と接続した生活
何年か前から「AIに仕事を奪われる」といった語りを聞いて、何か違うなと感じていたけど、どう違うのかがはっきりしなかった。
AI技術にブレークスルーが起こったのは2017年頃らしい。そこで起こったブレークスルーの内容をよく分かっていなかったのだが、「学習パラダイム」の転換だったことを知り、衝撃を受けた。
なぜかと言うと、それは、人間も「学習パラダイム」を転換すれば、ブレークスルーするということを示唆しているからだ。紛争を終わらせるカギは、もしかしたら、このあたりにあるかもしれない。
「個人」という単位で区切って、その内部のネットワークを効率化するという「近代的個人」の学習パラダイムをマネして壁にぶち当たったAI研究が、「状況に埋め込まれた学習」へと転換したことでブレークスルーしたのだそうだ。
多層的な文脈が流れている場で、状況に応じてコミュニケーションを取るうちに、「個人」の内部のネットワークだけでなく、外部のネットワークも調整されて馴染んでくる。共通の文脈ができてきて、その文脈のもとで、状況と調和して、協働作業ができるようになってくる。AIは、こちらの学習パラダイムへと転換し、次々に結果を出し始めている。
「個人」のスキルを高めて競争する「近代的個人」の学習パラダイムのまなざしでこの状況を捉えると、AIが競争相手に見えて、「負けちゃう!」「仕事を奪われる!」となる。あ、これが、最初の言葉に感じた違和感か。
でも、「状況に埋め込まれた学習」のまなざしで見ると、私たちの社会の関係性ネットワークが、AIによって進化し、私たちを取り巻く状況が変化するということ。だから、その状況と調和するように、私たちと状況との関係性を調整するのだ。なんだか、争いが起こらなそうな世界だ。
「私」というのは、この身体が占める範囲だけではない。様々な道具を使うことによって「私」の範囲が拡張する。包丁があるから魚をさばこうと思うし、自動車があるから八ヶ岳に星を見にいこうと思う。道具の概念は、さらに拡張し、「あなたがいるから、挑戦しようと思った」というように他者との共創へと繋がる。さらに、道具の概念をネットワークへと拡張すると、インターネットは、「私」の範囲の拡張であり、そこへ接続している「私」は、世界に身体を拡張した「拡張した私」である。
だからAIの進化は、「拡張した私」の進化であり、「拡張した私」の一部が能力を獲得し続けているということだとも言える。同時に、私は、「拡張したあなた」の一部であり、私が気づいたこと、獲得したことは、「拡張したあなた」が気づいたこと、獲得したことでもある。
このような「世界は一つ」みたいな世界観に、AIが先に行ってしまった。私たち人間も、AIを見習って世界観を転換していくことになりそうだ。
AIツールで「拡張した私」がスキルアップしていく
AI翻訳ツール
「個人」としての私の語学力は、日本語ネイティブで、あとは、頼りない中途半端な英語を話すが、DeepL翻訳と接続すると、24か国を読み書きできる「拡張した私」になる。私が寝ている間も、DeepLは休まずに修行を続けていて、気が付くと、読み書きできる言語がいつの間にか増えていたりする。「拡張した私」は、スキルアップし続けている。
24か国語のテキストが理解可能になってしまったという状況と調和するには、どうしたらよいだろうか?「拡張した私」の使い方が、まだ、うまくつかめていないので、急激に拡大した身体を持て余しているのだ。「言語ビッグバン」は、拡大した身体を使いこなすための練習の場である。
まずは、各国のニュースを読みながら、比較している。それだけでも、世界の捉え方が大きく変わる。
AI議事録ツール
おとといから「AI議事録取れる君」というサービスを使い始めた。調べてみたら、他にも類似のサービスがあるみたいだ。
Zoomのミーティングに、「AI議事録取れる君」というbotを参加させると、「彼」が、音声を聴き取って議事録を取ってくれる。読み取ってくれる言語の種類も多くて、自動翻訳機能もついている。
Youtubeの動画を画面共有すると、動画の音声も議事録化してくれる。これは、過去のインタビュー動画の文字おこしなどの作業を「AI議事録取れる君」にお願いするとよさそうだ。
自分が参加できないMTGに、分身である「AI議事録取れる君」を送り込むことができる。「彼」が取った議事録を見て、後からMTGにフィードバックを送れば、時間差で話し合いに参加できる。
英語のMTGに、「AI議事録取れる君」を連れていけば、僕が聞き取れない英語も、「彼」が聴き取ってテキスト化し、さらには、日本語へ翻訳してくれる。
外国語のYoutube動画を「彼」に聞かせれば、内容を聴き取って翻訳してくれる。
AI議事録ツールが登場し、いつの間にか「拡張した私」は、様々なスキルを獲得してしまっていたことに気づく。あとは、この「拡張した身体」をどのように使うかだ。
AI描画ツール
Dreamというサービスは、単語をいくつか与えると、それに応じてAIが絵を描いてくれる。同種のサービスは、他にもたくさん出てきている。
「個人」としての「私」は、絵を描くことは得意じゃないが、いつの間にか「拡張した私」は、抽象的な絵をいくらでも描けるようになっている。そのことに慣れていないから、そのスキルを、まだ生かせていない。
AIと一緒に暮らす「AI生活」
「私なんて何にもできない」ということに思い悩んでいた近代的個人の悩みは、「拡張した私」の悩みとは対極である。
何しろ、気づかないうちに「どんどんできるようになってしまう」のだから。取り組むべき課題は、「できるようになったことを、自分の生活にどのように結びつけるのか?」である。気がつかないうちに拡張している私を自覚し、その私としてどのように生活するかを調整することが、ネットワーク社会における「学び」なのかもしれない。
私は、20年前に「研究室」を離れてから、自分の人生を実験台として研究してきた。言うなれば、「生活実験」をしてきたように思う。
私はAI研究者ではないし、テクノロジーの最先端を理解しているわけでもない。学習パラダイムの転換によって進化を遂げたAIによって私が拡張していくという実感を手がかりに、自分の生活や意識がどのように変化していくのかを洞察したいと思う。
「AI生活」を実感しながら生活し、その中で気づいたことを報告していこうと思う。