多層的所属:自分を軸にして活動ポートフォリオを組む生き方
近代とは、組織の時代だったと思う。
「契約と報酬」という方法論の発明によって、暴力を用いなくても「貨幣の力」によって他人を支配することが可能になった。
さらに、官僚型ヒエラルキー組織という方法論によって、宗教的権威を用いなくても、「組織に従順であれば、「階位が上がり報酬も上がる」という意識を刷り込んで、組織へ自ら従属するシステムを作った。
社会システムに企業組織が従属し、企業組織に個人が従属する。数百年かけて、個人の自由より、システムが優先される社会が作られてきたのではないかと思う。
しかし、近年、ずいぶんと風向きが変わってきた。
コロナ状況下においてオンラインコミュニケーションの爆発的広がりによって、複数の組織に所属することが簡単になったからだ。
数十個のコミュニティに所属している平和活動家の石丸弘さんは、それを、「カテゴリからタグ付けへの変化」だと言う。
かつては、「●●会社の□□です。」というように、組織への所属によって自分をアイデンティファイしていた人も、所属先が複数になっていくと、所属によって自分をアイデンティファイするのが難しくなる。
その代わりに、自分自身の生き方や活動を表現する手段として、複数の組織やコミュニティを自分に「タグ付け」する。それが、「カテゴリからタグ付けへの変化」だ。自分の価値観や状況に応じて、タグ付けした組織やコミュニティに対する時間配分を柔軟に調整しながら、自分自身の生き方を創造するのだ。
私は、これを、「多層的所属」と呼びたい。自分の生き方を創造するために、活動ポートフォリオを組み、人生のステージごとに、その中身を入れ替えたり、割合を変えたりして生きる生き方が、オンラインコミュニケーションの爆発的広がりによって簡単に実現可能になった。
対面が中心の生き方では、身体をどこかの組織に所属させなければならなかった。だから、身体を所属させる対象を「あれか、これか」と選ぶ必要があった。
しかし、対面とオンラインとが交じり合うコミュニケーション環境では、瞬時に別の組織のミーティングに移ることができ、「あれとこれ」に同時に所属し、その割合を調整するということが可能になるのだ。
複数の組織やコミュニティに所属するメリットは、いくつかある。
1つ目は、それぞれの組織やコミュニティの文脈を相対化できることだ。ある場所で「正しい」ことが、別の場所でも「正しい」とは限らない。組織やコミュニティは独自の文脈(または、文化)を持ち、その文脈によって、活動が意味づけられる。組織にどっぷり所属してしまうと、組織の文脈によって決まる価値観を内面化し、その価値観で自分を判断しがちである。そして、それが、否定的な判断の場合は、メンタル的に追い込まれる。
2つ目は、矛盾するニーズを同時に満たせることだ。「収入か生きがいか」といったニーズが二律背反になることは多い。これまでは、どちらかを取るという選択肢かなかった。しかし、今は、複数の組織に所属し、収入優先の組織と、生きがい優先の組織とをポートフォリオの中でバランスしながら、段階的に収入と生きがいとが重なり合うように割合を調整していくことが可能なのだ。
3つ目は、自分の人生を創造するために、自ら環境を創り出すという意識が育まれるということだ。私は、2011年からマレーシアに住み、すべての学びと仕事をオンラインで行っているが、最初にやったことは、自分が学ぶための環境をオンラインに作ることだった。大学院の機能を要素分解すると、1)情報 2)議論 3)機会 の3つに行きつく。インターネットの発達によって情報へのアクセスは便利になり、オンラインで知り合った各地、各分野の友人たちとZoomで議論し、友人たちとオンラインでプロジェクトを組んで、実践の機会から学んでいくようにすると、「じぶん大学院」をDIYで作っているようなものだということになる。一定レベル以上の学ぶ力がつけば、現在の社会環境では、いくらでも学びを広げていくことが可能だ。
私自身が、このような気持ちで生きているからかもしれないが、最近、同じような感覚を持っている10代と続けざまに出会い、時代の変化を感じた。
通信制の大学に通いながら、様々なプロジェクトを体験したり、活動したりしたいという声を聞くようになった。
小池さんの記事も、まさにそのようなものだった。
時代は動いている。システムの部品だった個人が、意志を持って自律的に活動し、システムを主体的に活用する時代へとシフトしつつある。
コロナ状況で、そのシフトは、加速していくだろう。
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