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通信制の学校に出現しつつある可能性

コロナ・パンデミックによって、多くの小学校、中学校、高校、大学、そして企業が、活動をオンライン化した。

元に戻ることを願って、ひたすら我慢して耐えている人がいる一方で、その状況で新しい可能性を模索した人たちも多かっただろう。

対面を基準にするとオンラインのデメリットばかりが目に付く。対面ではできるあのことが、オンラインではできないということになる。

しかし、逆もまた真なりである。

オンラインでできるあのことが、対面ではできないということも多々あるのだ。

対面での経験を十分に積んで生きてきた私たちが、オンラインの経験も十分に積んだうえで、それらを組み合わせた総合的なコミュニケーション環境の中で、対面とオンラインとを相補的に活用するアイディアが生まれてきたときに、人間のコミュニケーションの次元が一段上がるのだと思う。

私は、対面とオンラインのコミュニケーションの違いを、次のように整理している。

リアル中心とオンライン中心

対面を中心にすると、どこか1か所に所属して活動することがデフォルトになる。一方でオンラインを中心にすると、多くの活動に多層的に所属することがデフォルトになる。

学校という空間に所属して、「●●学校のだれそれです」というように、自分を学校という空間にあてはめていく生き方は、対面中心の世界で作られた常識である。

しかし、オンラインでは、複数の活動に多層的に所属できるので、「私の活動は、●●学校、▽▽コミュニティ、◆◆NPO、・・・などです。」というように、自分に活動がタグ付けされるのが新しい常識になるだろう。

組織と個人の関係が、対面とオンラインとではひっくり返るのである。

正解よりも問いが重要になる時代

先の見えない時代に突入し、旧システムでの成功体験が役立たなくなってきている。

旧システムで設定されたカテゴリへの所属権を巡って競争することが虚しくなりつつある。

自分の中に多様な情報や体験を投げ込んでカオスを発生させ、そこから問いを生み出し、新しい何かを創造する生き方が、現在のカオス的状況とマッチする生き方なのではないだろうか。

そのことを直感的に掴んでいる若い人たちが、「学校という空間・カテゴリに所属する」という選択に違和感や限界を感じ、「自分の多様な活動の一つに学校をタグ付けする」という選択を取り始めている。

そして、そのような選択を取ろうとしたときに、キャンパスへの通学が義務付けられる旧来の学校よりも、自由度が大きい通信制の学校が、新たな価値を持って現れてきているのだ。

この可能性に気づいている若い人たちの生の声を聴きたい。

私がそうです!という方や、そういう人を知っている!という方、ぜひ、メッセージください。

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