因果関係とシステム化と、そこからはみ出していく子どもたち
4月5日から始まる「オンライン・ラーニング・ジャーニー」は、今の時代の中で感じている閉塞感とそこからはみ出していく動きに焦点を当てていきます。
私は、近代という時代の特徴は、「因果関係の発見とシステム化」だと思います。
私たちの祖先が「石器」という道具を作り始めてから、様々な道具を作り、使ってきました。
最初は、単純な道具だったのが、次第に部品が組み合わさった複雑な道具が作られるようになりました。
その背景には、「ここを押すと、いつもこうなる」といった因果関係(原因と結果の関係)の発見があり、部品を組み合わせて全体として機能を果たす「システム化」がありました。
複雑な道具(=機械)を作ったり、使ったりしていると、様々なものが、それと同じように動いているように見えてくるのだと思います。
「人間の身体も、細胞という部品が組み合わさってシステム化している機械のようなものなのだろう。」
「会社組織も、会社員という部品が組み合わさってシステム化している機械のようなものなのだろう。」
というようにです。
それが浸透してくると、自分自身のことを会社組織や、社会という共同体における「部品」のように捉えるようになってきます。
社会には、すでに様々な「部品」が存在していて、自分はどの部品になっていくのかを選び、立派に部品としての役割を果たせるように訓練していく。。。そんな風に見えてきたりします。
社会における「部品」は、新陳代謝する必要があるので、子どもが、新しい「部品」になって、社会に補充されていく必要があります。学校システムは、その役割を果たします。
学校や受験制度は、子どもたちの適性を見極め、各部品に振り分けていくための仕組みを担い、分岐するパイプラインのように子どもたちを振り分けながら、現場へと流し込んでいきます。
このようなシステムは、作られた当初は緩やかなものだったと思いますが、時間と共に精緻化され、最適化、効率化されていきます。コンピューターを用いたデータ管理が、それを加速します。
システム化によって、とても便利になりましたが、同時に、私たちの「生きる」が疎外されているようにも感じます。
私たちが、自分自身を「部品」として捉えるようになった結果、画一化された規格に合致しない部分を否定したり、恥ずかしいと思ったりするようになって、自己否定が生じやすくなりました。
自分を無自覚に否定している人は、同じ部分を他人に発見すると攻撃したくなりますから、いじめや、パワハラなどが起こりやすくなっていきます。システム化が進むと、便利になる一方で、生きにくい世の中になってくるのです。
私は、「不登校を選ぶ生徒が19万人」という事実を、「システム化からはみ出そうとする生き物の営み」として捉えています。生き物は、枠組みの中で形にする性質を持っていますが、同時に、枠組みをはみ出して超えていくという性質も持っていると思うからです。
システムからはみ出そうとしている子どもたちから、どんな未来が出現しようとしているのでしょうか?
彼らが感じ取っていることに、システム化によって閉塞化してしまった社会の次のステップへのヒントがあるかもしれません。
4月5日から始まる「オンライン・ラーニング・ジャーニー」の3回目では、はみ出していった子どもたちと伴走しているフリースクールの江川さん、小林さんに見えていることを共有してもらい、対話していきます。
※この企画について説明したFBライブを行いました。こちらから見られます。
※3月28日に実施した無料説明会の録画視聴を希望する方は、「オンラインラーニングジャーニー説明会の録画希望」と書いて、田原か、運営チームの別のメンバーにFBメッセンジャーで伝えてください。
https://www.facebook.com/masato.tahara
(おまけ)
6月帰国に向けて、着々と準備をしていますが、マレーシアでは、手続き関係がなかなか進まないのが常なので、ちょっとストレスが溜まります(笑)。
昨日は、会社の口座の取引履歴をプリントアウトしてもらうために銀行へ行ったのですが、「今年のぶんはできるけれど、昨年のぶんはやり方が分からない。」と言われて、「でも、毎年やってもらっているからできるはず」と伝えて、1時間やり取りした結果、「ここに電話してくれ」と問い合わせの電話番号を渡されて終了。
窓口での待ち時間もあったので、午前中いっぱいかけて、2枚のうちの1枚をプリントアウトしただけの成果でした。今日は、残りの1枚をプリントアウトできるかどうか、試みます。
マレーシアののんびりした空気感が好きだけど、もうちょっとシステム化が進んでほしいという気持ちも(笑)。