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オンラインボード革命

ファシリテーターの間で、最近、miroというオンラインボードが熱い。

miroは、付箋を貼ったり、画像や動画を貼り付けたり、図を描いたりすることができるオンラインのホワイトボードだ。

しかし、miroの革命的なところは、そのような機能ではない。

私が気づいたmiroの革命性について、今日は書いていこうと思う。

リアルはイベント型、オンラインはプロセス型

新しいオンラインツールに接するとき、「リアルの代替」として見ると、リアルの世界で既に存在しているものを基準にして考えてしまう。

リアルの世界にある黒板やホワイトボードを基準にしてオンラインボードmiroを見ると、そこに文字や図を描きこんで授業をしたり、みんなで付箋を貼ってワークをしたり、マインドマップを描きながら考えたり・・・と、それまでリアルの世界でやってきたことがmiroでやれるのかどうかで価値を判断しがちである。

しかし、それでは、miroの革命性に気づくことができない。

「リアルの代替ではないオンライン」の視点から「miroを見ろ!」と言いたい。

では、「リアルの代替ではないオンライン」の視点とは何か?

次の表を見てほしい。

リアル中心とオンライン中心

この表の中で、最も重要なのは、リアルだと集合&会場コストがかかるため、一度集まったら長時間活動するイベント型になりやすいが、オンラインだと集合&会場コストがかからないため、短時間イベントを何回も繰り返すプロセス型が最適解になるということである。

プロセス型の活動を効果的にやるためには、プロセスをどのように可視化して共有するかが重要なポイントになる。

数カ月にわたるプロセスをどうやって可視化して共有したらよいだろうか?

このような問いを抱いたことがある人だけが、miroの革命性に気づくことができる。

アーカイブボードという考え方

ファシリテーターの玄道優子さんは、miroの革命性に最初に気づいた人の一人かもしれない。彼女がやっている「のと未来会議」で作っているアーカイブボードを見せてもらったときに、私は、オンラインボードの革命性に気づくことができた。

のと未来会議

miroのリンク先はこちら

「数カ月のプロセスを可視化して共有する方法とは?」というオンラインワークショップが抱える課題を解決するソリューションの1つが、オンラインボードの活用であることが、のと未来会議のアーカイブボードを見ると分かるだろう。

数カ月のプロセスでは、参加の度合いにグラデーションが発生する。いや、参加の度合いが揃っているべきというのがリアル中心の常識であり、参加の度合いにグラデーションが許されるというのがオンラインの強みなのだ。

それを実現するためには、途中で休んだり、途中から参加する人が、それまでのプロセスをキャッチアップする工夫が重要になる。そこで威力を発揮するのがアーカイブボードだ。

文字情報を使ってキャッチアップするのが得意な人もいれば、映像を倍速再生するのが得意な人もいる。グラフィックで直感的に把握するのが好きな人もいるだろう。そのような多様なチャンネルにアーカイブボードは対応しやすい。

また、場のプロセスは生き物なので、あらかじめどのように展開するのかを想定していても、その通りに行くとは限らない。可視化ツールが限定的だと、場のプロセスがツールに制限される。それでは、本末転倒だ。

その点、オンラインボードは、白くて広いスペースなので、ツールに制約されずに自由にプロセスを広げていくことができる。この自由さがとても好きだ。

地域や組織という単位で行っていた対話の場が、オンライン化するとテーマや人脈という単位になりやすい。集まる人が違うことで、今までは生まれなかった対話が生まれ、新しい可能性が出現するだろう。

その対話をささえるプロセスの可視化ツールの進化は、私たちの社会の創造性を飛躍的に高めてくれるだろう。

面積が無限大であることによって可能になること

私たちの知性は、新しいものと出会ったときに、「すでに知っている何と似ているのか?」と発想しやすい。

オンラインボードは、黒板、ホワイトボード、模造紙・・・などのオンライン版として捉えられやすい。

しかし、面積が無限大のボードを使って、長期間にわたり、遠隔で共同作業できるツールというものに、私たちは、今、初めて出会っているのである。

これまでに不可能だった何かが、オンラインボードによって可能になっているのである。

その可能性に気づけば、私たちは、ファースト始祖鳥として飛ぶことができる。

たとえば、複数で本を読み、ポイントを付箋に書き出してオンラインボードに貼っていくことを考えよう。

次に、それらの付箋を構造化して、図解する。1冊の本の内容が、図解されることで一目で分かるようになる。

メディアの面積が無限大なので、2冊目、3冊目・・の本も、同じように図解していく。

100冊くらいが図解されると、今度は、それらの図解を分類して構造化し、図解の図解をすることができる。

面積が無限大で、拡大縮小が自由自在ということは、部分と全体とを行き来するような表現を1枚のオンラインボード上ですることができるということだ。

この可能性を、集団的知識創造活動に活用すると、何が生み出せるだろうか?

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