分野を越境して学び合う対話が重要になってくる時代
田原です。
2015年から、私の頭の中にずっとある図がこれです。
Two Loops Modelという図で、社会のパラダイムシフトに取り組んでいる活動家の多くが、この図のようなプロセスをイメージしています。
変化は、一度には起こりません。
何かをきっかけに社会を捉える目が変わって新しいことを始める人と、旧来のやり方をやり続ける人とが共存している時代が続きます。
しかし、新しいことに時代の必然性がある場合は、同時多発的な動きが広がっていき、大きなうねりとなっていきます。
二項対立のようにも見えてきて、信念対立も起こってきたりします。
そこで、大事なのは、私たちは、人類という大きな生命体の一部なのだと相互に感じられるかどうかです。現状を維持する人と、変化を起こす人の両方が必要なのです。
そして、それらの人が分断を起こさずに協力して次のパラダイムを出現させられるかどうかが、社会のパラダイムシフトのヤマ場です。
私は、2022年から分野を超えた「合流」が本格化すると捉えています。
4月5日からはじまる、オンライン・ラーニング・ジャーニーは、近代を支えてきた学校教育と、フリースクールやさとのば大学といった変化を起こしている教育とが分野を超えて混じり合って対話することをテーマにしています。
教育に関心のあるあらゆる立場の人、あらゆる年代の人に参加してほしいです。
◆さとのば大学スタッフの内藤さん(そいちゃん)からのメッセージです。
こんにちは、さとのば大学の内藤です。今回はわたしが「教育」について思うことをつらつらと話していきたいと思います。
まず前提として、わたしは学校に取って代わる新しい仕組みをつくっていくことが、いま必要だと考えています。
学校でも協働することや助け合うことではなく、比べて競い合う文化で、社会に出れば高い市場値段をつけてもらえるように個々が頑張り(働きすぎるなど)、上手くいかなければ傷つき、疲弊していってしまう。そういうシステムに限界が来ていると思っています。
そしてそのような、教科学習のように教えようと思って教えている、計画的に教えることをまとめた「カリキュラム」とは別に、教えようと思ってはいないけれど自然と身につけてさせてしまっている「潜在的カリキュラム」というものがあるなかで、
学校があることで「学校に行けば学びが得られる(それ以上学ばなくてもいい、学校に行っていれば学んでいることになる=学校で学ぶことこそが学びだ)」と思ってしまうようになる、などの弊害も、学校にはあると思っています。
それによって、自分の知的好奇心に従ってなにかをするのではなく、与えられることに慣れて、カリキュラムのタスクをこなすことが日常になってしまう。そして、カリキュラム以外のことを学ぼうと思わなくなったり、カリキュラム以外を役に立たないものと捉えてしまいます。
しかし、なにかを知り自分のものとし、自分自身がどんどん豊かになっていくこと、そのように学びたいことに従って生き、自分で自分の人生をつくっていく感覚を持ち続けることが、学びの本質ではないでしょうか。
そのためにわたしは、普段「さとのば大学」で活動しています。
そして、そのような学校への違和感を感じているひとも多いけれど、仲間がいないと「自分が間違っているんじゃないか」と思ってしまったり、
学校の中にいたり教育現場に関わっていたり、はたまた保護者としてお子さんと関わっているなかで、どうしたら変えていけるのか希望が見えなくなってしまったりする事があると思います。
そんな方に向けて、4月5日から始まる「オンライン・ラーニング・ジャーニー」では、同じような違和感を感じている仲間とともに、学んでいけると思うので、興味のある方はぜひ一緒に学びの旅に出ましょう。
※この企画について説明したFBライブを行いました。こちらから見られます。