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さざれ石は、今。ミーム的感動与えるのか?

リチャード・ドーキンスは『利己的遺伝子』で生物学的な「遺伝子(gene)
」に対して文化的な遺伝子である「ミーム(meme)」という概念を提唱したことがあります。

足摺七不思議の一つ、「弘法大師の爪書き石」
弘法大師
六字の名号
もありがたぁ~いものなのですが、
根源的な感動は、石が「さざれ石」と感じるところにあります。
さざれ石は知っているのだが見たこと無い。
でも今。石の声が聞こえるようだ。手を乗せて触ってみると感じる。
さざれ石だ。
と無意識にさざれ石と認識して感動する。
文化的な遺伝子である「ミーム(meme)」によるものと思われます。

ですが、湧き上がる感動にたいして、理解が追いつかず不快ととらえることもあるでしょう。
不快感とともに、
「さざれ石的なもの」イコール「奇跡的」だった感性が、
「さざれ石的なもの」イコール「同一的」に上書きされていれば、
ありがたぁ~いなんて感じ無いでしょうね。

さざれ石って、
そもそも石や礫がくっつく訳が無い。という前提から始まる。

あり得ない。
でも、目の前にある苔むす石は、
小さな石が集まって、大きな巌となり鎮座している。
これをどう説明したら良いのか。
不思議だ。

この同じ感覚を日常生活で感じる。

なぁせあんげな者とこんげな者が集まって、
こんだらすんごいことができるんだ。
素晴らしい不思議だ。

凸凹、とげとげ、ヘンテコリン。
集まるはずのないもの達。異形な姿。異なる価値観。
多種多様なものが集まって、大きな力となる。
さざれ石的不思議とはこのようなもの。

「平均化」「同一化」「無個性」「強制的」「純粋化」とは違う。

ところがなぜか、
「さざれ石的なもの」イコール「同一的」と上書きされて嫌がれてますね。

これもまた「不思議」














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