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足摺七不思議。亀石の前に。水、川、海、橋、の意味を膨らます。好きな物語を集める。

足摺七不思議。亀石の前に。水、川、海、橋、の意味を膨らます。
好きな物語を集める。
足摺七不思議、亀石に触れた時。驚きから日常生活を彩る感動を与える。

亀石の七不思議は、他の七不思議と違い、
自分が好きだなこの言葉、良いなこの物語。水、川、海、橋、になぞらえた意図を自分で集めることで感動が広る。
どうもそのように出来ている。

「川」のテーマで物語集める。

「方丈記」

方丈記「行く川の流れ」の原文

行く川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。
淀みに浮かぶうたかたかは、かつ消え、かつ結びて、
久しくとどまりたるためしなし。

世の中にある、人と栖と、またかくのごとし。
玉敷きの都の内に、棟を並べ、甍を争へる、高き賤しき人の住まひは、
世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、
昔ありし家はまれなり。

あるいは、去年焼けて、今年作れり。
あるいは、大家滅びて、小家となる。

住む人もこれに同じ。
所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、
僅かに一人二人なり。

朝に死に、夕べに生まるる慣らひ、ただ水の泡にぞ似たりける。
知らず、生まれ死ぬる人、いづ方より来りて、いづ方へか去る。

また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、
何によりてか目を喜ばしむる。
その、主と栖と、無常を争ふさま、言はば、朝霧の露に異ならず。

あるいは、露落ちて、花残れり。
残るといへども、朝日に枯れぬ。

あるいは、花しぼみて、露なほ消えず。
消えずといへども、夕べを待つことなし。

方丈記「行く川の流れ」の現代語訳
流れていく川の流れは絶えることがなくて、それでいて、
(その水は刻々移り)もとの水ではない。
流れの淀んでいるところに浮かぶ水の泡は、一方で消えたかと思うと、一方ではまたできて、いつまでもそのままの状態で存在していることはない。

このように生まれてきている人と住まいも、また、同じようなものである。
玉を敷きつめたように美しい都の中に、棟を並べ、屋根の高さを競っている(ように並んでいる)身分の高い、また低い人々の住まいは、幾世代を経てもなくならないものであるが、これらの家々が本当に昔のままで残っているのかと調べてみると、昔あったままの家は珍しい。

ある場合は、去年火事で焼けて、今年新しく作っている。
ある場合は、大きな家が滅んで、小さな家となっている。

(家だけでなく、そこに)住んでいる人もこれと同じである。
場所も変わらず、人も大勢いるが、(よく見ると)昔見知った人は、
二、三十人の中で、わずかに一人二人である。

朝に死ぬ人があるかと思うと、夕方に生まれる人があるという人の世のならわしは、全く水の泡に似ていることである。
(私には)わからない、生まれる人死ぬ人は(いったい)誰のために苦心して(建て)、何のために(飾り立てて)目を喜ばせようとするのか。

その、家の住人と住まいとが、どちらが先に滅びるかを競っている(かのようにどちらも滅び去っていく)様子は、例えて言えば、朝顔(の花)と、その上に置く露との関係に同じである。

ある場合は、露が落ちて、花が残っている場合もある。
(しかし、)残っているといっても、朝日にあたると枯れしぼんでしまう。

ある場合は、花が先にしぼんで、露はまだ消えないでいる場合もある。
(しかし、)消えないでいるといっても、夕方まで消えずにいることはない。

方丈記「行く川の流れ」にある言葉「かつ消え、かつ結びて」から川は、
刹那に滅し、刹那に生じると感じて「臨済録」。

「臨済録」に

「大徳、三界は安きこと無し、猶お火宅の如し。此は是れ汝が久しく滞住する処にあらず。無常の殺鬼(せっき)一刹那(せつな)の間に貴賎老少を揀(えら)ばず。」

とあります。

「諸君、凡夫の迷いの世界は安きことなく、火事になった家のようなところだ。ここは君たちが久しく留まるところではない。死という殺人鬼は、一刻の絶え間もなく貴賤老少を選ばず、その生命を奪いつつあるのだ」

という意味。

「一刹那の間に」と臨済禅師も仰せになっているように、
一刹那に変わっているのです。

「刹那」は時間を表す最小の単位。指を一回弾くあいだに六十五刹那ある。

この世の存在物は、実体を伴ってあるようにみえるが、
実際には、一刹那ごとに生滅を繰り返していて実体がない。

これを「刹那 生滅」といい、常でないので、「刹那 無常」と言う。

川をテーマにした自分が好きだな、自分が面白いな。を集める。
自分が川からこんなインスピレーションを受ける。を集める。
自分の「川」を好きなもので集める。

自分の「川」を豊かにする。

「亀石の不思議な効能」の一つは、
亀石の不思議の前に、自身が「自分を豊かにしよう」と誘うこと。

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