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足摺七不思議 【亀石】 「ありがとう」と「盲亀浮木の喩え」と「縁起の法」

「ありがとう」

このカメは、
ありがたきことをありがきところへ
運ぶが所以に
ありがたきものとす。

足摺七不思議「亀石」を語る。

ありがとうの語源は、

仏教の「盲亀浮木のたとえ」にあると云われています。

盲亀浮木(もうきふぼく)のたとえ

平安時代末期の流行歌を集めた
『梁塵秘抄りょうじんひしょう』にあり、

鎌倉時代に『新古今和歌集』や『小倉百人一首』を編纂した
藤原定家の歌にも

「たとふなる 浪路の亀の 浮き木かは……」

と、詠み込まれていたりする。

あるとき
お釈迦さまは、お弟子の阿難へ、

「そなた、人間に生まれたことをどう思うか」

と 尋ねた。

「はい、大変喜んでおります」
と答えると

「どのくらい喜んでいるか」

と聞かれます。

どのくらい喜んでいるか?
阿難尊者、
さてどういったものかと困っていると、

お釈迦さまは、「盲亀浮木のたとえ」
といわれる喩え話をなされます。

これは、『法華経』(如一眼之龜値浮木孔)など、
色々なお経に出ている譬えですが、
「雑阿含経」には、このように説かれています。

たとえば大地ことごとく大海となるに、一盲亀あり。
いのち無量劫なり、百年に一たびその頭を出す。

海中に浮木あり、ただ一孔のみあり、海浪に漂流し風に随い東西す。

盲亀、百年に一たびその頭を出し、まさにこの孔にあうを得べきやいなや

阿難、仏にもうさく、

世尊よ、あたわず
所以はいかん

この盲亀、もし海の東に至らんに、
浮木、風にしたがいて、あるいは海の西に至る。
南北四惟の囲遶することまたしかなり。必ず相得ず

仏、阿難に告げたまわく
盲亀浮木また差違すといえどもあるいはまた相得ん。
愚痴の凡夫、五趣に漂流し、
暫くまた人身あらんことはなはだ彼よりも難し

(雑阿含経より)

現代訳。

お釈迦さまは阿難へ。

太平洋のような広い海に、目の見えない亀がいる。
その目の見えない盲亀が、100年に1度、海面に顔を出すのだ。

広い海には一本の丸太棒が浮いている。

その浮木の真ん中には小さな穴がある。

阿難よ、
100年に1度浮かび上がるこの亀が、波のまにまに風のまにまに東へ西へ、南へ北へとただよう丸太棒の穴に、頭を入れることがあると思うか?

お釈迦さま、残念ながら、それは到底ありえません

では、絶対にないと言い切れるか?

絶対ないかと言われれば、何億年、何兆年、幾億兆年の間には、
ひょっと顔を出すことがあるかもしれませんが、

ないといってもいいくらい、難しいことです。

阿難が答えると、

よいか、阿難よ。
私たちが人間に生まれることは、この盲亀が、浮木の穴に頭を入れることがあるよりも、難しいことなのだ、有り難いことなのだよ。

といわれています。

有り難いというのは、有ることが難しい。
ということで、滅多にないことをいいます。

人の世は、
人が、「渇愛」(タンハー)「貪愛」(ラーガ)を持つが為に、
あれも欲しいこれも欲しい。
もっと欲しい。もっともっと欲しいばかりで、
何もあげたくはない世間。

そういう欲まみれの人々が、
人に親切するということは、滅多にないこと。

あることのないことを、あなたは私にしてくださいました。

「有り難い」は、
「ありがとうございます」と
やがて、感謝を表すお礼の言葉となった。

人間に生まれることは、
それほど、有ることが難しい、有り難い。



では今。


これほど生まれがたい人間に生まれたこと。

喜んでいるか?

「生きてるだけで丸儲け」(by明石家さんま師匠)

なんて感じているか。

「苦しい。人に生まれてさえ来なければ」
「死んだら楽になれる」

自分で、自身を殺す人が、令和3年の自殺者数は21,007人。
毎年、約2万人が自殺で亡くなっている。

なぜ?!

生まれがたい人間に生まれたことを喜ばない。

人間に生まれる難しさよ。

源信僧都は言う。

まず三悪道を離れて人間に生るること、大なるよろこびなり。
身は賤しくとも畜生に劣らんや、
家は貧しくとも餓鬼に勝るべし、
心に思うことかなわずとも地獄の苦に比ぶべからず。

(横川法語)

「三悪道」とは、
六つの迷いの世界である六道の中で、苦しみの激しい、
地獄・餓鬼・畜生の世界。

お釈迦さまは、『涅槃経』に、こう説かれていると
『往生要集』に教えられています。

人趣に生まるるものは、爪の上の土のごとし。
三途に堕つるものは、十方の土のごとし。
(生人趣者 如瓜上土 墮三途者 如十方土)

(涅槃経より)

「人趣」とは人間界のこと、
「三途」とは三悪道のことです。
「十方」とは大宇宙のことですので、

人間に生まれるものは、爪の上の砂のように少なく、
地獄・餓鬼・畜生の苦しみの世に堕ちる者は、大宇宙の砂の数ほど多い。

それらの苦しみの世界に生まれずに、
人間に生まれたことは、大変な喜びですよ。
人間に生まれたことを喜びなさい。

という。

しかしながら、

人の世だからこそ、
地獄・餓鬼・畜生の苦しみに堕ちる者はいる。

「苦しい」

それは、
「苦しい」だろう
「苦の因」を集めているからだ
「苦の因」を滅する方法がある

それが佛道だ。

苦の因を集めず
「苦の因を滅する」因を集める

悪縁を断滅し
良縁を結ぶ

諸悪莫作衆善奉行
(しょあくまくさくしゅぜんぶぎょう)

諸事、縁によって起る。

苦もまた同じ。

人だからこそ、
佛道で、苦しみの
縁を変えることができる。


では、
絶対に出来ないと言い切れるか?

絶対出来ないかと言われれば、何億年、何兆年、幾億兆年の間には、
ひょっと出来ることがあるかもしれませんが、

ないといってもいいくらい、難しいことです。

だが、できた。
皆、できる。

私たちが佛陀になることは、
この盲亀が、浮木の穴に頭を入れることがあるよりも、
難しいことなのだ、有り難いこと。

だが、できる。

「縁」によって
成すことができる。

佛と成る。これを成佛と云う。

佛の岸へ、
苦海を渡ることができるがゆえに、
有り難い「カメ」(神)意思。

足摺七不思議 亀石。
























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