足摺七不思議。良い言葉は、羽根が生えて飛び回るんですよ。「不増不滅の手洗鉢」
不増不滅の手洗鉢
平安朝の中頃賀登上人とその弟子日円上人が補陀落渡海せんとした時弟子日円上人が先に渡海したので賀登上人は大変悲しみ岩に身を投げ、かけ落ちる涙が不増不滅の水となったと云ふ。
「源氏物語」にて、
六条御息所は、己の髪や衣服から芥子(悪霊を退けるための加持に用いる香)の匂いに、自分が「物の怪」を生じたと自覚する。
賀登上人は、「物の怪」を生じる前に「嫉妬」を自覚する。
しかしながら、
引き受けてのない「欲望」生じていたので、「悪霊」は放ち続けていた。
「悪霊」は穢れをまき散らした。 穢れとは「呪い」である。
自分の「無自覚な行いの為」に「仏の道」に侮られ、今ここにあると悟る。
「人の道」で生きるには、己が生んだ「嫉妬」「欲望」を受け止めること。
世の中へ災悪をもたらさないよう。
賀登上人は「嫉妬」「欲望」を全身全霊で受け止め、大変悲しみ岩に身を投げた。
その後。
かけ落ちる涙が「不増不滅の水」となったと云ふ。
引き受けてのない「嫉妬」は「物の怪」となる。
引き受けてのない「欲望」は「悪霊」となる。
本体が実在しない、引き受けてのない「思い」は存在感を持つ。
この感覚は、人に救いを見出す。
お遍路さんの持つ勤行次第にある、短いお経。
准胝観世音功徳聚
寂静にして心つね誦すれば一切もろもろの大難能くこのひとを侵すことなし。天上及び人間、福をうくること仏のごとく等し。
この如意珠に偶(あ)はば定んで無等等(むとうどう)を得ん。
若し我れ誓願大悲のうち一人として二世の願を成ぜずんば我れ虚妄罪科のうちに堕して本覚に帰らず大悲を捨てん。
仏様の別名「如来」とは、「如の世界」から「来る」ことからそのように呼ばれる。
本体は「如」の世界にあり、
この世界に実在がない「仏様」の存在が、この世界に残した「思い」は実在感を持つ。 仏母として仏を生む。仏母の思いは、仏菩薩となる。
賀登上人は、岩に身を投げた。
賀登上人は、意志を固めた。
「仏の道」に侮られた己は、「人の道」で仏となる。
寂静にして心つね誦すれば一切もろもろの大難能くこのひとを侵すことなし。天上及び人間、福をうくること仏のごとく等し。
己自身が仏となる。人が仏と成り、
己の欲が「慈」「悲」となり「大慈大悲」となる。
かけ落ちる涙が「不増不滅の水」となったと云ふ。
不増不滅の手洗鉢でした。
さぁ。まいりましょう。
四国霊場38番札所 金剛福寺です。