創り出す楽しさと消費する楽しさと

友人のnoteにとても共感する言葉が書かれていた。

平日は会社で働き、休日はひたすら遊ぶ生活の幕開けです。(中略)こうして「休日に全力を注ぎ、最も疲労が溜まった状態で月曜日を迎える」というサイクルが完全に定着した頃、ふと次のような思いが芽生えました。
このままでは、誰かが作ったモノやサービスを消費するだけの人生で終わってしまう。

自分の生きていることを実感したい、発信したいと思い「表現する世界」へと再び踏み出した友人。

その友人は、公開後Twitterでこのように話している。

この文については削除すべきか否か非常に悩みました。なぜなら人々の時間の過ごし方を批判していると捉えられてしまう可能性を孕んでおり、そうなると私の意図に反してくるからです。

彼女が真正面から人生に立ち向かっていったのはとても共感したし、素敵だと思った。一方で、その言葉こそが誰かを否定、傷つけてしまうのではないかと悩んだ思慮深さ、視野の広さにも僕は感嘆した。

振り返ると、僕自身も“この命題”と向き合ってきた気がする。

動き続ける楽しさか、消費する楽しさか

高校時代、被災地で地域貢献活動を高校生主体で立ち上げた僕たち。そこで出会っていく大人たち、少し上の大学生たちには刺激を受けることが多く。彼らはいつも未来にワクワクしていて、行動を続けていた。

▼当時の僕について▼

それから7年の月日が経とうとしているが、これからも動く楽しさを感じていたいし、そういった人を追いかけている。そんな人たちの姿はかっこいい。

▼たとえばこの友人▼

一方で、そうした人たちの中で生きてくると、“生み出すこと”が礼賛される雰囲気がある。極論、消費することの楽しさを批判してしまう風潮もなくはない。

“消費する楽しさ”というと自分たちも消費はしているので、完全に消費しないなんてことはないが、ここにおける“消費する楽しさ”とは最初の友人が語っていた「休日に遊びまくったり、YouTube見たり、タピオカ飲んで……」的な話である。

この楽しさやこういった生き方とどう向き合うのが自分にとっての最適解なのだろか、とずっと向き合ってきた。

一時は、見下した時期もあった。しかし、楽しいのは事実だ。僕もYouTube見て楽しいと思うし、タピオカが美味しいとも思う。

このままいくとまた大作…ができてしまうので、自分なりの見解については次回にしようと思います。

▼次回noteはこちら▼


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木幡真人|masato kohata
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