夢見モグラは空を待ち侘びて 46日目
机に向かって読み書きの作業をしていると、
上からポタポタっと、
冷たい水の雫が落ちてきて、
モグラの一生懸命書いた文字は滲んでしまった。
小窓から見える外の世界は、
鳥が囀り、明るい光が差し込んでいたので、
モグラは不思議な顔で天井を見つめた。
机の上によじ登り、精一杯背伸びをしながら、
水の滲み出てくる場所を覗き込んだ。
もしかしたら一つ上の世界に住む住人の部屋で、
何かあったのかもしれない。
モグラはその心配でソワソワしながらも、
早くそのポタポタが止んでくれやしないか、
と、正直思うところもあった。
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落下物についての話。
“fall in love”
という文章の訳が、
なぜか今日まで”恋に落ちる”と訳され続けている。
はて、
“love”という単語はどちらかと言えば”愛”という言葉の方がいささか順当なような。
ここで”愛に落ちる”とは訳さなかったところに、
なんとも訳者の嗜好性や手癖、何なら性癖、背景に物語までを感じるところである。
恋というものは落とされる側のもの(沼のイメージ)、
もしくは、落下物そのものである。
比較して愛はどうやら落下しないものらしい。
本当かな?
以下はなんとなく、考察というには、その半歩手前、
むしろストレッチ的な、トレーニングを兼ねた文章として、結論の見当もつかぬまま書き進めてみる。
恋はとても不安定な状態にあること。
愛はとても安定的な状態であること。
第一印象、イメージとしてそんなところ。
気持ち、のみならず相手の一挙手、一頭足に、
グラグラと心が揺らぐ様子。
触れる触れない、話しかける話しかけない、
相手のことを知り、心が変化していく、主にその過程の部分、
またはそれを想像力で補う、という行為も含めても、それらはとても不安定だ。
つまり、判定として、恋と表現されるにふさわしい。
俗にいうビビッときた、雷に打たれたような衝撃、と言われるような、
不意、不可避、衝動的な場面、何かが動き出すその瞬間というのも勿論、表現が派手に動いている時点でとても不安定だ。
のちに落ち着く、収まることはあったとしても、
その時点、その段階では、恋なのである。
では、恋が、定着して、愛に変わるまで、そう呼べるまでには、
一体、どのくらいの歳月が必要になるのか、
はたまた、その歳月に関わらず、定着させる方法や手段はないのか?
例えばそれが一般的な住宅であれば、
1〜2年かかれば完成するし、
大掛かりなビル、スタジアムなどの建造物であれば、
3年から5年以上なんてものもざらである。
世界一高いドバイのブルジュハリファですら6年で仕上がる。
え?
つまりは10年来のカップルとか、
長い年月をかけて、積み重ねて、定着させた愛情っていうのは、
もしもこの目に見ることができたら、
どんな大きな建造物よりもサイズ感としては、
大きいものなんじゃないか、
長年連れ添った老夫婦とか、
なんかもうとてつもなく大きいものを、
それってただそこにあるだけで尊いような凄いものを、
もしかして作り上げてしまっているんじゃないか、という話。
きちんと丁寧に積み重ねられたら、
という注釈つけとかないと、また話がグラグラしてくるなと思いつつ(これぞ本末転倒?)。
ブルジュハリファを一体何人で作ってるか知りませんけれど(調べよう?)。
ということは逆も然り、
それらが崩れ落ちる、落下するというのは、
とてつもない衝撃であることも含めて。
(いや、そもそも恋という言葉と、愛という言葉の関係性が、“恋”の進化系、上位互換として”愛”、というのがどうなの?っというツッコミどころは置いといて。)
それではまた明日。
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本日の表紙はhortensia_blue__さんの写真を使用させていただいております。